霊魂または心理と訳されたギリシア語 psyche 及びそれにあたるラテン語 anima について、若干の説明をしなければならない。psyche については、ニーチェの学友であったエルヴィン・ローデ(Erwin Rohde)の有名な書物がある。それを待つまでもないことであるが、もともとプシュケーは英語読みをすればサイキであり、一般に近世ヨーロッパでは、心ないし魂と理解されてしまっていた。しかし、ギリシア語におけるプシュケーは何か。ホメロスの詩を読めば、プシュケーは、人が死ぬ際に、その口から最後の息とともに飛び去る人の形をした透明な霊魂であり、ハデス(冥界)に去ってそこに彷徨う実体であった。しかし、その後、このプシュケーについての思想が深まるにつれて、それは気息よりも生命であると解されて来た。しかし、プシュケーが生命であるとすれば、それは、また人間の最も人間らしい生命としての精神的生の主体たる霊魂ということになり、そして他の生物の場合のプシュケーとはただの生命である、ということになるであろう。従ってギリシア語で empsychon (すなわち魂を中に持つ)という言葉は生物という意味である。そのように、プシュケーは本来「生命」または生命を司る主体「生魂」と訳されるべきなのである。それゆえアリストテレスが『Peri psyches』すなわち『プシュケーについて』という題を残している書物は、正しく古典ギリシア語的に読むならば、『霊魂について』よりも、『生魂について』もしくは『生命について』と言わなければなるまい。

★今道友信『アリストテレス』(講談社学術文庫講談社、2004/05)pp.265-266


先生、anima の方の講釈もぜひ。ってもすこし先まで読めば出てくるのかしら。


文献のところにさりげなく――

紙数に限りがあるため、インターネット検索可能な状況に鑑み、研究者にとり重要な文献はこれを最小限に止どめた。

とある。


というわけで、検索すると……。おい、株式会社かよ。orz


僭越ながら哲劇でもアリストテレスのプロフィール(作家の肖像)をつくることにしよう、と思った。