江戸川乱歩全集 第18巻――月と手袋』光文社文庫え6-16、光文社、2004/10、amazon.co.jp


収録作品は、「影男」「月と手袋」「灰色の巨人」「黄金の虎」。


★浅沼圭司『映画のためにI』(叢書記号学的実践4、書肆薔薇の風、1986/04、amazon.co.jp


★ヴィ・オー・フリーバーク『映画美論――スクリインの上の美に就いて』(川添利基訳、内外社、1932/07)
 Victor O. Freeburg, Pictorial Beauty on the Screen (1923?)


映画がどのようにして「第七芸術」の地位を獲得したか(映画と芸術)、映画批評・評論において映画はどのように記述されてきたか(映画批評の言語〔のスタイル〕)――てなことを調べてみたい。古今東西の関連書をあれこれ読んでみようと思う(すぐに大風呂敷を広げる)。よくできた映画批評史の本があればそれで用が足りるという話もあるけれど、自分で読むにしくはなし。


フリーバークの本は、昭和7年の翻訳で原書情報がないのだけれど、たぶん上記した Pictorial Beauty on the Screen が原題*1。1923年刊行としたのは、レックス・イングラムなる人物による「凡例」と「著者の序」に添えられた日付がいずれも1923年8月になっていることから。


ところでこれから読むところなのでフリーバークが映画の美をどのようにとらえているのかはさだかではないけれど、序文にこんな一文がある。引用は現代の仮名・漢字になおしてある。

映画というものを若し舞台劇或は小説の代用物と考えるならば、それは至極つまらないものとしか考えられない。然し、若しそれを一個の独立した価値を持ったもの、即ちその中に現われて来るものが何らかの意義を持った運動となって私達に迫って来る絵画芸術の新しい形式であると考える時、私達はその中に私達に深い感動を与える美の片影を認め、そして未来に於てはこの新芸術が更に傑れた豊かな美を持ち得る可能性が非常に多いことを認めるであろう。


言葉をかえて言えば、私は映画を絵としてたのしみ、絵以外の何ものとしてもそれを鑑賞しないのである、しかも、現在なお映画が大に改善を必要とする点はこの絵画的方面なのである。そしてこの状態は恐らく今後十年は続くことであろう。


映画を絵画として観ること。どのような動機でフリーバークはこうした問題設定をするにいたったのか。第一章はさっそく「映画と絵画芸術」と題されている。つづく第二章も「絵画的構成の実際価値」とあり、読むのがたのしみである。


訳者・川添利基氏の序文によると、この翻訳の前半は「キネマ旬報」に連載していたとのこと。

*1:googleで検索したら、日本語では一件だけ古書目録でヒットした。\8000という値段に一寸びっくり