『侠女 上集』(A Touch of Zen, 87min, 1971, amazon.co.jp


製作総指揮=夏呉良芳/製作=沙榮峰/監督・脚本=胡金銓/撮影=華慧英/音楽=呉大江/出演=楊(徐楓)+顧(石雋)/製作会社=胡金銓電影公司


蒲松齢(1640−1715)の聊斎志異にはいっている同名作品に想を得た映画。


どんなにきらびやかな剣戟が展開されるのだろうか、と息を呑んで見つめること数十分。映画はじらすように静か。


お、人が出てきた。と思ったらそれは狂言回しの貧乏書生。彼が好奇心から空き家のはずの隣家から聴こえる音にさそわれて入り込み、音楽もそれらしくおどろおどろと盛り上げるものだから、なにか出るか? いま出るのか? さあ出るのか? とたっぷり引っ張られるだけ引っ張られていると、ばーんと出てくるのは青年のおかあちゃん。「こんな時間になにやってんだい!」と叱り飛ばすかたすかしに椅子から転げ落ちること数度。


空き家に住まう美女・楊、盲の易者・石先生、漢方医、旅の男――正体不明の人物たちがひとりまたひとり現れて映画はひたすら静かにじわじわと謎を提示してゆく。



楊に恋をした書生が楊のもとで一夜を過ごした*1その翌朝、ついに事が起こる。二人のもとへ訪れた男が腰帯に仕込んだ刀を抜いて、楊と戦いはじめるのだ。きらめく白刃。二人は屋内から外へ移動しながら剣を交える。ときおりポーンとすごい飛翔。うわ、どうやってるのよあのジャンプ?


――というところで先日読んだ『香港への道――中川信夫からブルース・リーへ』リュミエール叢書35、筑摩書房、2004/10、amazon.co.jp)の一節を思い出した。同書は国境をまたいだ映画人生を送ったカメラマン西本正(1921-1997)のインタヴュー。西本はキン・フー『大酔俠』(1966)のカメラを担当している。

――夜の追っかけのシーンでは、追うほうも逃げるほうも、変にヒューッと飛んでいるような走り方をするんですが、あれはどうやって撮ったのですか。


西本 あれはね、やっぱりワイヤーを使っている。別のところではトランポリンも使っていました。


――もうワイヤーなんか使っていたんですね。

(同書、p.146)


上記は『大酔俠』についてのインタヴュアー(山田宏一山根貞男)とのやりとり。そうか、あのジャンプはトランポリンだ! と納得。



上集(上下二巻構成)のクライマックスは竹林での戦い。竹の幹をタタンと踏んで上昇し、身を翻して落下の勢いをかりて敵を討つ楊の剣。鮮やかとしか言いようのない垂直運動。一幅の画のようにきまるとどめの構図。ああ、この瞬間のために80分はあったのだなと合点。下集を同時に借りてこなかった自分に後悔。


キン・フー武侠電影作法』草思社、1997/09、amazon.co.jp)も読みたくなってきた。

*1:なぜそういう展開になるのかはその実ようわからんかった。