浜野佐知『女が映画を作るとき』平凡社新書258、平凡社、2005/01、amazon.co.jp)#0056


たとえば日本の女性映画監督の名前をあげよ、といわれたら何人くらい思い浮かべることができるだろうか。


本書によれば、日本映画監督協会の会員に占める男女比は、2004年9月の時点で、男性約580に対して女性23とのこと。女性は圧倒的に少ない*1


著者・浜野佐知(はまの・さち, 1948- )は、1970年にピンク映画で監督デビューして以来、300本を越える作品を撮っているという女性の映画監督。1998年に自主制作映画第七官界彷徨――尾崎翠を探して』を、2001年には『百合祭』を発表している。


映画『第七官界彷徨――尾崎翠を探して』スチル
本書は浜野氏の映画制作にまつわる遍歴を中心に書かれた書物で、映画界において女性監督がどのような位置を占めているのか/占めていないのかを知るうえで教えられるところが多い。



全六章のうち前半は、男性社会である映画界で映画監督をめざす過程から、映画監督としてデビューし、今日にいたるまでの記録になっている。


男性社会である映画業界*2のなかでピンク映画を撮りはじめることになるのだが、浜野氏は当時を振り返って次のように述べている。

ピンク映画の作り手たちは、映画については深く考えていたが、セックスについては世間一般の男たちと同じくらいに女を誤解していた。

(同書、p.37)

私は彼ら〔男性監督〕が、意味ありげに撮る女の肉体を、真っ向からドアップで即物的に撮った。それは女の性を知らずに神秘化したがる男の監督たちへの挑戦状でもあった。

(同書、p.40)


男性中心の価値観に対抗したというこの試みが、男性監督たちや受け手である男性たちにどのように受容されたのか/されなかったのかは興味深いところなのだけれど、そのあたりの経緯は愚生の不勉強でよくわからない。



尾崎翠(おさき・みどり, 1896-1971)の小説第七官界彷徨を原作とする映画第七官界彷徨――尾崎翠を探して』を制作するさいに、尾崎翠全集』の編者である稲垣真美氏とのあいだに起きた摩擦も同じ意味で興味深い。本書で浜野氏が伝えるところによると、尾崎翠の晩年を不幸であったと考える稲垣氏にその根拠を問うたところ、次のように語ったという(右書影は、中野翠尾崎翠集成』ちくま文庫)。

「功をなし、名をあげようとした作家が、途中で断筆したんですから、幸せだったはずがないでしょう」


「女が一生結婚できなかった〔尾崎翠は生涯独身だった――引用者註〕。これは不幸に決まっているじゃないですか。まあ、体格はよかったから、性欲はそうとう強かったでしょうが」

(同書、p.54、稲垣氏の発言)





本書の後半は、『百合祭』(桃谷方子原作、映画では原作小説と異なる結末を用意している)をつうじて交流がはじまった海外の女性映画祭主宰者たちや、自身も映画作家をめざしたが果たせず岩波ホール総支配人や国立フィルムセンター初代名誉館長などを務めた高野悦子氏――彼女にも『女性が映画をつくるということ』朝日文庫朝日新聞社、2000/11、親本は『私のシネマ宣言――映像が女性で輝くとき』、朝日新聞社、1992/09)という著書がある――へのインタヴューを収録している。仏・独・伊の女性映画祭主宰者たちがほぼ口をそろえて、1970年代から1980年代にはことが進めやすかったのにたいして1990年代にはさまざまな困難があると感じていることが印象的だった。


高野氏については、『女性が映画をつくるということ』を読んでから別途メモランダムを作成したいと思う。ここでは浜野氏によるインタヴューでの発言から少しだけ抜粋しておきたい。

「男性は、女性の監督は要らないけれど、自分では女性を利用するんです」


「今や男性が作り上げた理想も、家の理想も崩れています。何がいいのか分からない状態ですが、こういう時に女性監督はもっとたくさん存在しなければならない」

(同書、p.162、高野氏の発言)




「映画監督は男の世界か?」と題された終章では、一方であいかわらずセクハラが絶えない――というのは映画業界に限らないことだけれど――映画業界の現状に触れ、他方では「映画は男の世界だ」と述べながらも浜野氏に一目を置き、一時は彼女のドキュメンタリーを企画したという深作欣二(ふかさく・きんじ, 1930-2003)や、女性監督の存在に理解を示す大島渚(おおしま・なぎさ, 1932- )との談話を紹介している。


映画監督は男の世界か?――浜野氏が映画制作に携わりはじめた30年前からくらべれば状況は改善されているものの、彼女が映画制作の動機として述べている以下の点に関して言えばいまだしの観は否めない。

いくつかのブレを含みながらも私がやってきたことは、女の性的役割に主体性を取り戻し、男の押し付けや期待には応えないだけでなく、手前勝手な欲情のシステムをぶち壊してやるぞ、ということだった。

(同書、p.186)


一観客(読者)としてこの問題意識を共有しつつ、浜野氏のこの動機がつぎにどのような作品に結実してゆくのか、刮目したい。



浜野氏が主宰する旦々舎のウェブサイトによると、次回作は、戦国の世に男として育てられた女性を描いた金子ユキの小説『夜叉王』講談社、2002/08、amazon.co.jp)を映画化するとのこと。




⇒旦々舎
 http://www.h3.dion.ne.jp/~tantan-s/


浜野氏が主宰する映画製作会社(1984設立)のウェブサイト。第七官界彷徨――尾崎翠を探して』『百合祭』の作品紹介のほか、同作品のヴィデオ、プログラムも購入できる。


日本映画監督協会
 http://www.dgj.or.jp/

*1:同協会に登録している者だけが監督というわけではないだろうけれど

*2:たとえば浜野氏が映画監督を志した1960年代末には、メジャー映画会社五社・東映東宝/松竹/大映/日活――以上は同書掲載の五社――の採用条件は「大卒・男子」であったとのこと