新左翼だとか全共闘だとか


ここしばらく、20世紀の日本の思想史という文脈で、(戦前)戦後の左翼運動の変遷に関心を持っているのだけれど、この一連の出来事を「遅れてやってきた」者にもわかるように読み解いてくれる資料というものになかなか出会わない。


当事者だった人々の証言の多くは、細かな事実やセクトの動向などについてはなぜそんなに記憶しているのかというくらい詳細な情報が列挙・集積されており(ほとんどおたく的な対象への執着さえ感じさせる)、そういう意味ではありがたいのだけれど、そこから運動全体の俯瞰図を思い描くのは難しい。


こうした記録は、もちろん必要だしよいと思う。のだけれど、他方で、彼/彼女たちがなんのために、なにを考えて、どのような背景のなかで、なにに対してあの出来事に参与していったのかということをもう少し明確に知りたいとも思う。



まだ歴史的な分析と記述をほどこすには時代が近すぎる(異論をさしはさむ関係者が多数いる)のか、そんなふうにわかりやすい「物語」に回収されることを拒むためか、はたまた単に需要がないだけなのかはわからないけれど、他者(経験を共有していない他者)を前提とした概括がなされていないように思うのだ。事情を知らない者の勝手な理想をいえば新書一冊文くらいの分量で、いったん細部の動向はわきにおいた大きな流れを「総括」してほしいと思う(まだ資料蒐集が十分ではないので自分が見知らぬだけの可能性も否めない)


そういう意味では、絓秀美さんの『革命的な、あまりに革命的な』作品社、2003/05、amazon.co.jp)、『知の攻略思想読本11 1968』作品社、2005/01、、amazon.co.jp)、あるいは井土紀州監督による映画『LEFT ALONE』とその書籍版である『LEFT ALONE――持続するニューレフトの「68年革命」』明石書店、2005/02、amazon.co.jp)、という一連の仕事は大いに啓蒙的だし啓発されるところが多くたいへんにありがたい。


のだけれど、詳細な事実を確認するレヴェルとそれを「1968年の革命は現在につづく不可逆的な変化をもたらした勝利である」という評価のレヴェルをもそっと丁寧につないでほしいと思ったりもする。そのあいだをつなぐものが(もとより不勉強の謗りは免れないとしても私には)見えなくて、なぜこれらの事実の集積からそういう評価が出てくるのかがわからない、ということになる(その点では、『1968』に掲載された蓮實重彦氏、上野昂志氏との鼎談で蓮實さんから絓へ向けて投げられた問題に対して絓さんが逃げてしまっているのは残念でした)


と己の不勉強を棚にあげていても詮無いので書庫から関連書を掘り出して書見する冬の一日。


⇒作品メモランダム > 2005/02/08 > 『LEFT ALONE』(明石書店、2005/02)
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20050208#p8


⇒作品メモランダム > 2005/01/17 > 『1968』(作品社、2005/01)
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20050117#p2