★高橋準『ファンタジーとジェンダー』(青弓社、2004/07、amazon.co.jp)#0271
ヴィデオ・ゲーム制作の現場にしばらくいた経験を省みると、創作の場面においてジェンダーの問題が自覚されることは稀なことである。もちろん、「女性向けゲーム」などのように、対象ユーザーを性別によって特定することはあるけれど、それにしても企画会議の場面などにおいては、「女性向けなのだから〜であるべき」といった紋切り型の女性観が際限もなく議論されることになる。また実際、ゲームに登場するキャラクターの造形や物語を組み立てる過程では、先行するハリウッド映画やSF、ファンタジー、アニメーションの登場人物がモデルとして参照されて、なになにという映画に出てくるだれそれみたいなキャラクターが再生産されることになる。そこでは、男らしさや女らしさといった通念が疑われることはほとんどない。
ということを思い出したのは、ファンタジー作品(小説・漫画)をジェンダーの視点から読み解いた本書を通読してのことだった。
本書が考察の中心にすえる「ハイ・ファンタジー」と呼ばれる領域の作品は、舞台を現実世界とはことなる別世界においているファンタジーである。空想的につくりあげられた小説と聴くと、現実世界とは無縁のつくりものという印象を持つ向きもあるかもしれない。
しかし著者も言うように、ファンタジーにも現実社会の価値体系との関連が組み込まれている。もっと言ってしまえば、現実社会の既存の価値観や規範に無前提によりかかれないファンタジーであればこそ、より強く現実社会を異化/相対化する契機が含まれていると言えるだろう。
たとえば、いまからあなたが「いま・ここ」とは異なる世界を想像/創造して、その場所を舞台にした小説(あるいは漫画、ゲーム)をつくることを考えてみよう。
このことを理想的に体験するためには、人間同士でプレイするロールプレイング・ゲーム(Table talk RPG)で、進行役である「ゲームマスター」をやってみるのがよい。ゲームマスターは、他の参加者(プレイヤー)たちに対して舞台となる世界を呈示しながら、物語(この場合の物語はプレイヤーたちの言動によって変化する)を進行させるのが仕事。このゲームマスターの任を果たすためには、あらかじめ舞台となる世界を細部にわたるまで設定し、そのうえで起こる出来事を創作する必要がある。この準備は、社会システムの諸側面への考察を回避しては行うことができない。――注に追い出してあった文章ですが、あまりにも本文と離れるのでポイントを落としてここに入れておきます。
考えることは膨大だ。そこにはどんな生き物が住んでいるのか、その生物はどのように生きているのか。コミュニケーション、生殖、労働、娯楽など(そもそもこれらの概念があるのか?)の生態・風習はどうなっているのか。社会や経済はどのように構成されているのか(社会を構成しているのか?)、法はあるのか、あるとしたらどのように運営されているのか、統治者はいるのか/いないのか……以下このリストはいくらでも続く。
もちろん作家があらかじめそうしたすべてのことを設定してから小説を書いているというわけではない。といっても、そこがいま・こことは異なる世界である以上は、その別世界を構成する現実を描く必要におうじて、あらゆることを決めなければならない。
このようにして創出される別世界には、否応なく作者の世界観が表出されることになる。要素によっては無意識のうちに現実での経験をそのまま無批判になぞることもあれば、現実に対峙してそれを異化するように仕立てられる要素もあるだろう。
著者のねらいは、こうして創作されるファンタジーのなかにジェンダーの諸問題がどのようにうつしこまれているかを読み取ってみせることにある。以上に敷衍した現実とファンタジーのかかわりかたからもわかるように、ファンタジーは著者の目的にかなった素材だと思う。
本書で検討されるのは、「「男装の麗人」たち」(第2章)、「「戦う女性」たち」(第3章)、「ファンタジーのなかの家族」(第4章)というテーマで、『リボンの騎士』、『ベルサイユのばら』、『指輪物語』、『グイン・サーガ』(以上は「「男装の麗人」たち」)、マーセデス・ラッキー『女神の誓い』、ひかわ玲子「エフェラ&ジリオラ」、小野不由美「十二国記」(以上、「「戦う女性」たち」)、「ハリー・ポッター」、「ベルガリアード物語」、「パーンの竜騎士」、「ダーコーヴァ年代記」、「十二国記」(以上、「ファンタジーのなかの家族」)といった、ファンタジーの読者ならお馴染みの諸作品が分析されている。といっても、議論に必要な範囲で諸作品のあらすじについても丁寧に解説されているので、これらの作品を読んだことがない読者にもフォロウできるように構成されている。巻末には附録として「ファンタジー作品紹介」もついている。目次をかかげておこう。
・はじめに
・第1章 迷宮の地図を描く——ファンタジーをどう読むか
1 ファンタジーとは何か
2 ファンタジーをどう読むか
・第2章 「男装の麗人」たち
1 「男装の麗人」の類型学
2 ファンタジーの「古典」における「男装の麗人」
・第3章 「戦う女性」たち
1 ファンタジー世界の「戦う女性」たち
2 女性たちはなぜ「戦う」のか
・第4章 ファンタジーのなかの家族
1 散乱する家族——ファンタジー世界の家族像(1)
2 別種の家族——ファンタジー世界の家族像(2)
3 「開かれた家族」へ
4 家族をめぐる地図
・おわりに——そして、ジェンダーのファンタジーへ
・付録 ファンタジー作品紹介
なにやら書物それ自体の内容についての言及が少なくなったけれど、あとは実際に本書をお手にとって具体的な分析の場面に立ち会っていただければと思う。読了した暁には、本書で手渡された視点をたずさえてもう一度これらのファンタジー作品にむかいあってみたくなるのではないだろうか。私は、ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』(杉山洋子訳、ちくま文庫、筑摩書房、1998/10、amazon.co.jp)を再読したくなった。小説やゲームの創り手にも本書を推奨したいと思う。
【追記】:著者・高橋準さんのブログによると、書かれながら収録されなかった「あとがき」があるとのこと。
■印刷されなかった「あとがき」
手違いで、書いてあった「あとがき」が書籍に収録されていません。以下からダウンロードすることができます。(PDF形式、一部フォント埋め込み形式)
(http://d.hatena.ne.jp/june_t/20050303#p3 より)
以上、2005年03月04日追記。
⇒Words and Phrases
http://d.hatena.ne.jp/june_t/
高橋準さんのはてなダイアリー
⇒Myriel——女性学・ジェンダー論・フェミニズムのWWWサーバ
http://myriel.jp/june/