「ジェームズ・アンソール」展(東京都庭園美術館



東京都庭園美術館ではじまった「ジェームズ・アンソール」展を参観する。


ジェームズ・アンソール(James Ensor, 1860-1949)*1といえば、画面にところ狭しとたくさんの人がわらわらと描かれたボスを想起させる作品や、骸骨や仮面が登場する作品しか観たことがなかったため、すっかりそのような作風の作家として記憶していた。


アンソールの初期から晩年にいたる作品140点あまりで構成された本展覧会は、そうした不見識をただすという意味でもありがたい機会だった。


『ジェームズ・アンソール』(タッシェン・ニューベーシックアートシリーズ、2002/05)
初期の写実的に描かれた風景から、『北斎漫画』の模写を経て、明るい色遣いで夢うつつの狭間の世界を描く作風へと、その変化(と変化しないもの)の様子が素人目にもよく見える。


当たり前のことだが、作風の変化を検出するためには、変化に先立つ作風を知る必要がある。一人の作家のなかでの変化もそうなら、複数の作家たちがおりなす潮流同士の関係についても同じことが言える。


たとえば前衛の前衛たる所以を知るためには、前衛が対立している(はずの)伝統や状況を知らねばならない。へんな話、デュシャン以降、美術館に何が置かれていても驚かなくなってしまった私たちがデュシャンのものすごさをきちんとわきまえるためには、単独の作品に感じる価値のほかにたとえば彼が既製品の便器にサインをして美術展に出品しようとしたことが持つ意味について、その時代の文脈にたちもどって理解しなければならない。つまり、デュシャンがそのようにして対立した伝統の理解が不可欠である。


これを平たくいえば、歴史を知る必要がある、ということになる(そしてひとつ前のことを知るには、そのさらに前を、そのさらに前を知るにはそのさらにさらに前を……とたぐってゆけばついには歴史が史料のない藪の中へたどりつくことになる)。


年代を追ってアンソール作品を眺めてくると、1920年代から1930年代のカラフルな作品が待ち構えている。そこには、同時代にこんなにどぎついピンクをこのように使った画家がほかにあっただろうか、と思うような色遣いの作品が数点ある。なかでも磔刑のキリストを描いた「断末魔のキリスト」(1931)のピンクに塗られた十字架や、浜辺に人びとが集い戯れるその向こうに水平線と太陽と雲が見える「オーステンドのカーニヴァル(1933)の、一瞬巨大なきのこ雲がたちあがった終末的な光景に見えるその雲のピンクが眼に焼きつく。


目下、Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中のベルギー象徴派」展(- 2005/06/12)では、アンソールを含む19世紀末ベルギー象徴派の作品が展覧に供されている。アンソールの同時代的な背景(文脈)を知るうえでも併せて参観することをお薦めしたい。


⇒作品メモランダム > 2005/04/19 > ベルギー象徴主義
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20050419/p4


本展覧会は、2005年04月23日から2005年06月12日まで東京都庭園美術館で展示されたのち、三重県立美術館、福島県立美術館北九州市立美術館、高松市美術館を巡回する予定。


東京都庭園美術館 > ジェームズ・アンソール展
 http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/ensor/

*1:Ensor は元来「エンソール」と読むところをフランス語読みで「アンソール」と呼ばれている。