★「「批評と理論」の状況〈1〉——丹下健三あるいは建築状況2005」
以下は、シンポジウムの内容についてのメモというよりは、同シンポジウムの内容に関連する作品についての覚書です。
『批評と理論』(INAX出版、2005/03、amazon.co.jp)の刊行を契機に企画された建築をめぐるシンポジウム「「批評と理論」の状況〈1〉——丹下健三あるいは建築状況2005」を聴講するために早稲田大学国際会議場へ赴く。
⇒作品メモランダム > 2005/03/24 > 『批評と理論』
http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20050324/p1
パネリストは、磯崎新(建築家)、福田和也(文芸評論家)、鈴木博之(建築史研究者)、石山修武(建築家)の四氏。司会は石山氏。
シンポジウムは前半と後半にわけられ、前半では先頃亡くなった丹下健三(たんげ・けんぞう, 1913-2005)、後半では磯崎氏の中国での近況が話題となった。タイトルに「建築状況2005」と冠されているが、2005年の世界の建築状況を概観しようという趣旨ではない。
前半は、前掲書の「第六章 戦後/お祭り広場/岡本太郎」を丹下健三の側から補足する内容で、主に1960年代末にいたる前衛としての丹下健三の仕事の意義が検討された。福田氏や磯崎氏によるジュゼッペ・テラーニ(Giuseppe Terragni, 1904-1943)と丹下の対比など、——以前「ファシズムと建築」(『批評空間』II-19、太田出版、1998、所収)でも検討された——興味深い論点がいくつか提出された。パネリスト間のやりとりがもうすこし活性化するとなおよかったと思う(個々の議論がやや放置プレイ気味だった)。
後半は、磯崎氏の近況に議論がうつる。これについては、磯崎氏も壇上で述べていたけれどすでに『en-taxi』08号(扶桑社、2005)掲載の特集「磯崎新の饗宴——哄笑と過熱の中華三昧」や、『新潮』2005年4月号(新潮社)掲載の福田氏との対談「国際と国粋の臨界点」、あるいは『批評と理論』(INAX出版、2005/03)の「第七章 現代/インビジブルシティ/磯崎新」で述べられていることの繰り返しになり、もちろんこれらに眼を通していない聴講者には有益であったと思われるが、そうでない者には幾分ものたりない議論であった。
途中、司会者から話題をふられた磯崎氏が「バラバラの話をするのには慣れていないのですが」と前置きをする場面があった。これは議論に流れをつくらず、碁石をあちらこちらに置いてゆくような進め方に当惑しての一言だと思う。
もっとも、石山氏とてこのような場のとりしきりの難しさは重々承知しているはずで、あえてまとまらない議論を(先に使ったたとえで言えば碁石を置いてゆくように)組み立てようとしたのかもしれないとも思う(すくなくとも前半と後半のつながりのなさについてはご本人があらかじめ述べていたことでもある)。
その石山氏が、『批評と理論』の「第六章 戦後/お祭り広場/岡本太郎」を収録した日(2001/09/28)の日記で、当日の参加者の一人であった浅田彰氏についてつぎのように述べていたことが思い出される。
浅田彰はしかし座談、討論共に名手だなアレは。話題のつくり方、タイミング等見事だ。まわりにも気を使って、しかも使い過ぎず。余程浅田孝が仕込んだに違いない。浅田彰を見ていると、丹下健三の仕事における浅田孝の役割がどれ程のものだったのかに想いをはせざるを得ない。丹下健三という人は驚く程にそのような人間に恵まれてきたのだろう。
⇒石山修部研究室 > 世田谷村日記 > 2001/09/28
http://ishiyama.arch.waseda.ac.jp/www/jp/toppast/top0109.html
上記の第六章や各種対談・シンポジウムでの浅田彰氏の議論の運びを読めばわかるように、浅田氏はつなぎ・編集の名手である。その手並みを基準に他を評したら不公平というものかもしれない。
とはいえ、このシンポジウムも結果的には丹下健三の(1960年代末までの)前衛性を確認したのちに、それとはまた異なるかたちで前衛たりつづけ、いよいよアナーキーになりゆく(?)磯崎氏のいまを垣間見ることができたという意味ではとても有意義なものであった。
上で触れた共同討議「ファシズムと建築」は、1998年に水戸芸術館で開催された「ジュゼッペ・テラーニ——ファシズムを超えた建築」展の関連企画として開催されたもので、磯崎新、長田謙一、福田和也、浅田彰の四氏が参加している。このたびのシンポジウムで、福田氏と磯崎氏が丹下健三に事寄せて触れたテラーニとファシズム、保田與重郎などへの言及に物足りなさを感じる向きはこの討議に当たられるとよいと思う。
また、磯崎氏と福田氏の建築+文学対談『空間の行間』(筑摩書房、2004/01、amazon.co.jp)にも関連する議論が多数検討にかけられている。磯崎氏から見た丹下健三について最近のものでは、五十嵐太郎氏と小田マサノリ氏による磯崎氏へのインタヴュー「年代記的に——浅田孝、瀧口修造、六〇年代」(『10+1』2004 No.36、特集=万博の遠近法、INAX出版)が丹下健三のブレーンでもあった浅田孝の仕事ぶりなどにも触れていて参考になる。
⇒10+1 web site > 「批評と理論」の状況〈1〉——丹下健三あるいは建築状況2005
http://tenplusone.inax.co.jp/info/
⇒TERRAGNI(伊語)
http://www.gt04.org/
テラーニ生誕100周年(2004年)を記念するイヴェントのサイト
⇒ダイヤモンド > 第三十二回「続・憂国呆談」番外編Webスペシャル
http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200505/index.html
「●丹下健三の死」のくだりに簡潔にして要を得た丹下評がある
■追記(2005年05月02日)
・雑誌『新建築』2005年5月号に、建築家や建築研究者による丹下健三追悼の文章が寄せられています。
・『批評と理論』(INAX出版)でも発表・発言されていた田中純さん、中谷礼仁さんがウェブログで上記イヴェントについてコメントを書いておられます。中谷さんからは過分なお言葉を頂戴しました。ありがとうございます。
⇒before-and afterimages > 2005/04/28 > アナーキーな貴族(田中純さん)
http://news.before-and-afterimages.jp/C1884801429/E514007401/index.html
⇒Nakatani's Blography > 2005/04/29 > 大阪帰りはつらい(中谷礼仁さん)
http://www.acetate-ed.net/blog/nakatani.php?itemid=416