その2:バタイユのinforme


 「形」というものがよく分からないので、この際、先達の考えたことを手がかりにしながら、この言葉が何を指しているのか、何を指そうとしているのか、あるいは、どんな働きを持っているのか、ということについて考えてみるべく、「無/形をめぐって」という項目を立てたのでした。


 この際、まずは二冊の書物を取り上げて、これらを比較しながら読むことで、形について考えてみたいという趣向です。その二冊とは、





★Henri Focillon, Vie des formes, suivi de Eloge de la main, 1934
 アンリ・フォシヨン『形の生命』杉本秀太郎訳、岩波書店、1969; 改訳版、平凡社ライブラリー663、2009、ISBN:4582766633
 アンリ・フォシヨン『かたちの生命』(阿部成樹訳、ちくま学芸文庫、2004、ISBN:448008875X


★Yve-Alain Bois & Rosalind E. Krauss, Formless: A User's Guide (Zone Book2, 1997)
 イヴ=アラン・ボワ+ロザリンド・クラウス『アンフォルム――無形なものの事典』(加治屋健司+近藤學+高桑和巳訳、月曜社、2011/01、ISBN:4901477781


でした。


 どこから検討を開始してもよいのですが、まずは『アンフォルム』の導きの糸でもある、バタイユ「アンフォルム(informe)」という文章を眺めてみることから始めることにしましょう。この文章は、ボワとクラウスの『アンフォルム』にも巻頭に掲げられているものです。まずは、同書の訳文をここに写してみます。

アンフォルム――事典というものは、もはや語の意味を与えるのではなく語の働きを与えるようになるというところから始まるらしい。とすると、「アンフォルム」はこれこれの意味をもつ形容詞であるのみならず、階級を落とす【デクラセ】〔=分類を乱す〕のに役立つ用語、すべてのものは形をもつべしと全般的に要求する用語だということになる。「アンフォルム」という語が表すものは、いかなる意味においても権利をもたず、至る所でクモやミミズのように踏み潰される。実のところ、アカデミックな人間が満足するためには、宇宙は何らかの形をしているのでなければならない。哲学全体の目標はこれに他ならない。すなわち、ありのままに存在するものにフロック・コートを、数学的なフロック・コートを与えることだ。これに対して、宇宙が何にも類似していない、アンフォルムなものだ、と断言することは、結局のところ、宇宙が何かクモや痰のようなものだと言うに等しい。

『アンフォルム』(邦訳書、3ページ))


 いかがでしょうか。なかなか込み入った表現の文章で、にわかには何を言おうとしているのか、飲み込みづらいかもしれません。ただ、なにかここでは「形」をめぐって、或る意見が表明されていることは分かります。


 では、これを書いたバタイユは、この短い文章(この文章自体は、これで全てです)で何を言おうとしているのでしょうか。次回は、このことを考えてみます。まずは、上記の訳文を繰り返し、ゆっくりと、一語一語噛みしめるように読んでみながら、脳裏に浮かぶ疑義や合点したことをメモしてみるとよいと思います。


⇒作品メモランダム > 無/形について考える その1:形というよくわからないもの
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20110409