その4:バタイユのinforme 第2文(承前)


「形」あるいは「無形」という言葉や概念について、それはなにを表しているのか、どのように使われるものなのか、ということを検討しているところでした。参照しようとしている書物は、ここに書影を掲げた二冊です。





さて、目下は『アンフォルム』の冒頭に置かれたバタイユの文章を読んでいるところ。まずは、『アンフォルム』邦訳版の訳文をお借りして、これを日本語の文章として、理解に努めようとしているのでした。改めて、その全文を見てみましょう。

アンフォルム――事典というものは、もはや語の意味を与えるのではなく語の働きを与えるようになるというところから始まるらしい。とすると、「アンフォルム」はこれこれの意味をもつ形容詞であるのみならず、階級を落とす【デクラセ】〔=分類を乱す〕のに役立つ用語、すべてのものは形をもつべしと全般的に要求する用語だということになる。「アンフォルム」という語が表すものは、いかなる意味においても権利をもたず、至る所でクモやミミズのように踏み潰される。実のところ、アカデミックな人間が満足するためには、宇宙は何らかの形をしているのでなければならない。哲学全体の目標はこれに他ならない。すなわち、ありのままに存在するものにフロック・コートを、数学的なフロック・コートを与えることだ。これに対して、宇宙が何にも類似していない、アンフォルムなものだ、と断言することは、結局のところ、宇宙が何かクモや痰のようなものだと言うに等しい。
(『アンフォルム』(邦訳書、3ページ))


前回は、最初の一文を読んでみました。誤解なきよう申せば、ここでしようとしていることは、この訳文の妥当性を検討するということではありません。あくまでも目標は、この文章でバタイユが言わんとしていることに迫ることです。ですから、一見すると訳文にもの申しているように見えるかもしれませんが、それはバタイユへの問いかけなのです。それなら最初から原文を見ればいいじゃないかという話もありますが、それは後に回します。


では、二つ目の文章を読むことにしましょう。抜き出してみると、こういう文章でした。

とすると、「アンフォルム」はこれこれの意味をもつ形容詞であるのみならず、階級を落とす【デクラセ】〔=分類を乱す〕のに役立つ用語、すべてのものは形をもつべしと全般的に要求する用語だということになる。


この一文は、なかなか歯ごたえがあります。私ははじめてこの訳文に接したとき、すこし混乱しました。ことに「階級を落とすのに役立つ用語」という言葉の意味をとりあぐねたのです。


訳文では、そのことを予測してか、原語を示すルビを振り、さらに訳者の補足である〔 〕で「分類を乱す」と添えてあります。


書かれている文章の種類にもよりますが、一口に翻訳といっても、訳者の考え方によって、その方針は人それぞれです。このくだりを見ると、この文章を訳した人の方針は、「できるだけ原語によりそって、意訳を避けること」であるように感じられます。一見日本語としては不自然な言い回しでも、原文を尊重してこう訳す。ただし、そのままでは意味をとりづらいかもしれないので、意味から訳せばこうなる、そして原文はこう、という発想から、このような訳文がつくられたように思うのです。もっともこれは推測に過ぎません。


さて、もう一度文章そのものに戻りましょう。

とすると、「アンフォルム」はこれこれの意味をもつ形容詞であるのみならず、階級を落とす【デクラセ】〔=分類を乱す〕のに役立つ用語、すべてのものは形をもつべしと全般的に要求する用語だということになる。


理解のために、文章全体を分解してみます。読点で区切るとよいでしょう。

a 「アンフォルム」は、これこれの意味をもつ形容詞であるだけではない。
b 「アンフォルム」は、階級を落とすのに役立つ用語である。
c 「アンフォルム」は、すべてのものは形をもつべしと全般的に要求する用語である。


紛れがないように、「「アンフォルム」は、」と主語を挿入しました。


要するに、「アンフォルム」とはどのような言葉であるかという、その特徴を三通りに述べているわけです。


aは、とくに問題を感じません。「アンフォルム」という言葉は形容詞だが、それだけではない、というわけです。これは、前回検討した第一文を受けてのことです。訳文をもとに理解した言い方を使えば、バタイユは「事典というものは、もはや語の意味を与えるものではなくて、語に働きを与えるものとなっているようだ」と言っていました。この考えの延長上で、「アンフォルム」という語も単に形容詞として意味を与えるだけではないというわけです。ただし、第一文では「事典」の話をしており、第二文では「アンフォルム」という「語」の話をしているので、両者の関係がどうなっているのかは、ちょっと気になります。これについては後に立ち戻ることにしましょう。


問題はbとcでした。順番に見てゆきましょう。まずはbです。


「アンフォルム」という形容詞は、「階級を落とすのに役立つ」言葉でもある、というのです。訳者の補足に従って言い換えれば、「アンフォルム」という形容詞は、「分類を乱すのに役立つ」言葉でもある、ということです。これはどういうことでしょうか。


ここで仏語のほうを覗きたくなりますが、まだそれは我慢して、あくまで日本語として考えてみます。


「階級を落とす」という言葉は、なにを意味するのか。「階級」という日本語からなにを連想するかは、読み手の言語使用の来歴に拠ると思います。私などは、まっさきに「階級闘争」や「階級社会」という政治的・社会的な言葉が思い浮かぶところです。これは、そうしようと思って思い浮かべるというよりは、これまで目や耳にしてきた言葉の記憶から、半ば勝手に身体(脳)が思い出してしまうという感じです。


それから落ち着いて考えると、統計用語や、単にものごとの段階の上下、あるいは軍隊での位階(三階級特進)などが連想されます。


いま読もうとしている「アンフォルム」の二つの文章では、「階級」という用語の文脈を特定する材料はあまりありません。ですから、まずは政治・社会・統計・軍事といった特殊な意味は念頭に置きつつも、最もプレーンな意味、単にものごとの段階の上下という意味で読んでおきます。


すると、「アンフォルム」という語は、「階級を落とすのに役立つ」というわけですから、本来であれば相対的に「上の階級にある」語の階級を下げるということになりそうです。つまり、あるXならXという語に「アンフォルム」という形容詞がつくことで、Xが本来置かれているはずの「階級」が、「アンフォルム」のおかげで下方に下げられてしまうというわけです。本来の階級が「アンフォルム」によって落とされてしまうのですから、「アンフォルム」は「分類を乱す」という次第で、こう読めば理解できそうです。


では、続くcはどうでしょうか。こういう文章でした。

c 「アンフォルム」は、すべてのものは形をもつべしと全般的に要求する用語である。


ここでまた少し混乱します。なぜ混乱したのか。どうも、私の場合、「アンフォルム」という語が、なにかを要求するという表現自体に、まずは小さな違和を覚えているようです。言葉が何かを要求するとは、ものの喩えでありましょうけれど、実際になにかを要求するのは人間でしかありません。しかし、ここは比喩として受け止めるとして、「アンフォルム」はなにを要求するというのか。


「すべてのものは形をもつべし」と要求するとバタイユは言っています。この箇所は、ここまでを読んだだけでは、まだよく意味が飲み込めません。ただ、推測するに、「アンフォルム」、つまり「形」の否定形であるこの語は、あくまで「アン+フォルム」です。つまり、「フォルム」という語がまずあって、それを「アン」という接頭辞によって否定するという構造を備えています。


そうすると、「アンフォルム」と形容されたものは、わざわざ「「フォルム」に欠けている」と形容されることになります。例えば、「Xはアンフォルムである」ということは、「Xはフォルムに欠けている」というわけです。つまり、「Xはフォルムがないぞ」ということを強調している、レッテルを貼っていると言ってもよいでしょう。


ここまではよいとして、しかしここから「すべてのものは形をもつべし」と要求していると言ってよいかとなると、私には判断がつきません。しかも「全般的に」といいますから、かなり強い要求ですね。


ここには書き手であるバタイユの読み込みが強く働いているように感じるところです。果たして、「アンフォルム」とは、そこまで要求している言葉なのかどうか、残る文章を読みながら考えてみたいと思います。


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