科学が明かす「人間だもの」


近年、「認知バイアス」と呼ばれる人間の性質が、さまざまな実験を通じて明らかにされてきた。「バイアス(bias)」とは、「傾向」「先入観」「偏り」という意味であり、「認知バイアス」とは、要するに、人がなにかを認知する際、必ずしも妥当な判断ばかりをするとは限らず、むしろさまざまな「偏り」や「思い込み」に影響されているということだ。



2012年に邦訳が出たダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー――あなたの意思はどのように決まるか?』(村井章子訳、上下巻、早川書房、2012/11、ISBN:4152093382ISBN:4152093390)は、そうした認知バイアスに関するさまざまな認知心理学の実験結果を交えながら、認知の仕組みに関して分かってきたことをまとめた好著である。


そこに示されている人間観、つまり、自覚しないまま、必ずしも妥当ではない判断に飛びついてしまう人間の姿は、むしろ私たち自身に近しいものであるように思う。また、人間が使う道具や制度をつくるような場合、こうした人間の認知の癖や「間違える人間」を前提にすることが重要でもあろう。


このような人間の性質を自覚したり、ものを考える際に踏まえることは、さまざまな場面で重要である。そこで、専門学校でのゲームデザインの講義や大学での情報社会論の講義などの機会に、カーネマンの本と内容を紹介してきた。


そうはいっても、『ファスト&スロー』は大著である。上下巻に分かれた邦訳書は、720ページに及ぶ。また、人間の認知というただでさえ複雑な対象を扱っていることや、さまざまな実験の紹介が中心ということもあり、論旨と構成がすっきりしているとは言い難いという憾みもある(というのは、以前、「ゲンロンサマリーズ」誌からの依頼で、同書全体を精読・要約・書評するという仕事をした際、私自身が痛感したことでもある)。


そんなこともあって、学生のみなさんに認知バイアスのことを知っていただくうえでは、新書とまではいかなくとも、もう少しコンパクトに読める本があるといいのにと思っていた。



このたび刊行された池谷祐二さんの新著『自分では気づかない、ココロの盲点』朝日出版社、2013/12、ISBN:4255007594)は、まさにうってつけの本だ。


というのも、この本では、各種認知バイアスを読者が実感し、楽しみながら考えられるように工夫が施されているのだ。


具体的に、一例をご覧いただくのが早いだろう。

25 有害物質


一酸化二水素という化学物質をご存知でしょうか。
「水素」の一種で、常温では液体です。無味無臭ですので、溶媒や冷却剤などに広く用いられています。
悪影響もあり、ときに重度の火傷を引き起こします。多量に摂取すると健康に重篤な障害が現れ、死に至ることもあります。
水道水にも多く含まれていますが、日本の水道水質基準には、現在この物質の規制がなく、成分として記載されることはありません。
そこで一般消費者に「一酸化二水素の含量を規制すべきか」というアンケートをとりました。次のどちらの答えが多かったでしょうか。


一酸化二水素は規制すべき
一酸化二水素は規制しなくてもよい

(同書、100-101ページ)


いかがだろうか。本書では、このような問いが見開き2ページでイラストとともに全30問、提示されている。


読者は問いについて「こうかな」と考えた後で、ページを繰ると「正解」が待っている。この、答えのパートが、その項目で取り上げた認知バイアスの解説になっている。


カーネマンの本でもそうだったが、認知バイアスについては、まずは読者自身に体験してもらうのが手っ取り早い。本書は、まさに読者自身が「自分では気づかない、ココロの盲点」の数々について、我が身を持って体験できるつくりになっているのだ。


そうして読み進めるうちに、さらに興味を惹かれて「もっと知りたい」という気持ちもそそられるだろう。というのも、ここに書かれていることは、いずれも他人事どころか、自分がこれまで自覚せずにいた「ココロの盲点」でもあるからだ。そんな盲点があると知っているのといないのとでは、それこそさまざまな認知や判断をする際の姿勢も変わるというものである。


それを見越してか、ありがたいことに、それぞれの認知バイアスにかかわる論文や文献も示されている。だから、読者は池谷さんの解説で関心を持った認知バイアスについて、さらに知りたいと思ったら、そうした文献に当たればよい。また、そこまでしないとしても、本書で読んだことを、きっと誰かに話したくなるだろう。


加えて、巻末には6ページにわたって、「認知バイアス用語リスト」がついている。本編で取り上げられていないものも含めて、総勢183個もの認知バイアスについて、簡にして要を得た説明を加えた労作というべきものだ。このリストを眺めるだけでも楽しく、人間というものについて、とりわけ間の抜けた側面について考えさせられてしまうこと請け合いである。


さて、それでは人間がそういう性質を持っていることが分かったとして、その上で、あれこれのことをどうやっていったら、物事はいっそううまく運ぶか、あるいは、もっと心穏やかに生きてゆけるか、そんなことを考えるためにも、ときどきページを開いてみたい本である。


というわけで、今後は認知バイアスについて知るための本として、まずは『ココロの盲点』をご紹介しようと思っている。


■書誌


書名:自分では気づかない、ココロの盲点
著者:池谷裕二
装幀・アートディレクション・イラスト:服部公太
PHOTO:下東史明
DTP:中村大吾(éditions azert)
編集:赤井茂樹+大槻美和
発行:2013/12/20
版元:朝日出版社
定価:880円+税
頁数:125+vi


■関連リンク


朝日出版社 > 『自分では気づかない、ココロの盲点』
 http://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255007595/?uiaid=ippantop_l


池谷裕二のホームページ
 http://www.gaya.jp/ikegaya.htm