フェリックス・ラヴェッソン『十九世紀フランス哲学』(詳細目次あり)

フェリックス・ラヴェッソン『十九世紀フランス哲学』(杉山直樹+村松正隆訳、知泉書館、2017/01)

フランスの哲学者ラヴェッソン(Félix Ravaisson-Mollien, 1813-1900) La philosophie en France au XIXe siècle (Imprimerie Impériale, 1868) の翻訳。

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「解説」に書かれている本書の成立事情が面白い。

1867年開催のパリ万国博覧会に際して、公教育省はフランスにおける諸学問の現状報告の作成を求めた。『フランスにおける文芸と科学の進歩についての報告集(Recueil de rapports sur les progrès des lettres et des sciences en France)』がそれであり、「哲学」の報告書作成は、ラヴェッソンに任せられた。かくして1868年に刊行されたのが本書だ、というわけである。 

 (同書、p. 347)

ついでながら思い出す本がある。エリック・アリエズ『ブックマップ 現代フランス哲学――フーコー、ドゥルーズ、デリダを継ぐ活成層』(毬藻充訳、松籟社、1999)だ。

同書は「外務省文化・科学・技術関係総局の求めに応じて書かれた『報告書』」として『現代フランス哲学』(1994)というタイトルで公表された本をもとにした本である。原著はDe l'impossibilité de la phénoménologie. Sur la philosophie française contemporaine (Vrin, 1995)で、『現象学の不可能性について――現代フランス哲学をめぐって』という書物。

こういうリクエストによって学術に関する報告書をつくるというやり方は、フランスやそれ以外の国々ではどのようにしているのだろうか、ということが気になる。

話をラヴェッソンの本に戻そう。

書名にある通り、19世紀のフランス哲学の状況を、ラヴェッソンの観点からマッピングした本で、私などは不勉強のために、これまで知らなかった名前も多々あり、また、読んだことのない本がたくさん登場する。

そこで、読解を助ける訳注や索引を兼ねた簡易人名辞典まで付けられたこの邦訳書が出た機会に、冒頭からラヴェッソンを読み、そこに登場する哲学者の文献を探して読むということをしている。現在は、19世紀あたりの文献も多くがデジタル化しているので、読めるものも多くて誠にありがたい。

もう一つ注目したいのは、以下に示すように「哲学」の守備範囲である。百学とまではいかないまでも、多様なテーマが含まれている様子も伺える。

というわけで、私があれこれ言うよりも、例によって目次を詳しくお示ししよう。

余談になるが、私はしばしば本の目次をこんなふうに書き写すことがある。書き写すということは、1文字も省略せずに読むということで、目次をじっくり読む方法でもあるのだった。また、ウェブに掲げておくと、存外それで助かる人がいないでもない。というよりも、私もこれまでいろいろな人が本や雑誌の詳しい目次をウェブに掲げておいてくれたおかげで多くのことを教えられてきた。というので、こんなふうに目次を入力する次第。

あ、ただし同書では「,」が使われているが、以下では「、」で記している。

凡例

 

I 哲学の起源からエクレティスムまで

ピュタゴラス派とプラトン派/アリストテレス。実体の形而上学/ストア派/キリスト教/中世スコラ哲学/デカルトの革新。二元論的実在論/無限と絶対。パスカルとライプニッツ/カント/逸脱。バークリーの実体批判とヒュームの懐疑論、コンディヤックの感覚論/精神の能動性の再発見。メーヌ・ド・ビランの「意志」とアンペールの「理性」/王政復古期。ロワイエ=コラールからクーザンのエクレクティスムへ

 

II クーザンとエクレクティスム学派

哲学史研究の諸成果/「半端なスピリチュアリスム」/心理学的方法の限界。知覚と概念、実在と理想との分断/エクレクティスム内部での新しい諸傾向。ビランの再評価。ジュフロワやラヴェッソンたち。ボルダス=ドゥムーランのデカルト論/エクレクティスムの没落

 

III ラムネー

『哲学素描』の体系/無限の存在としての神。内在的三元性/創造論と自然の形而上学。認識論、人間の諸活動の理論への応用。形式的な三元性の貫徹/批判――原理の不在。「伝統主義」的観点の哲学的欠陥

 

IV 社会主義(1)

此岸の復権と進歩の理念/サン=シモン、フーリエ、プルードン/真摯な哲学の不在

 

V 社会主義(2)

ピエール・ルルー。完成可能性と生の継続/ジャン・レノー『地と天』/超自然的なものの取り逃し

 

VI 骨相学

ガルとブルセ/その没落

 

VII 実証主義(1)――前期コント哲学

起源。ブルセとサン=シモン/『実証哲学講義』の思想。形而上学的な「絶対」「原因」の放棄/「三段階の法則」とその真の起源/単純な一般的要素への還元の要求。数学の偏重/唯物論への接近という帰結。実例としてのリトレ

 

VIII 実証主義(2)――イギリスでの展開

イギリス哲学の傾向/実証主義的心理学。観念連合/実証主義的論理学。ミル/理由と演繹の放棄。感覚と帰納/懐疑論という帰結

 

IX 実証主義(3)――後期コント哲学

コント自身の別の歩み/スペンサー、ソフィー・ジェルマン/体系と秩序を求め続けるコント/その含意。理由と理性の再肯定、ライプニッツ的観点への還帰/コント哲学の転換点。生命現象/全体的統一の観点。「上位のもの」が「下位のもの」を説明する/数学から精神科学への支配権の移行。物理的実証主義から精神的実証主義へ/コント哲学の到達点。心情と愛の重視。『実証政治体系』と「人類教」

 

X リトレ

無神論者かつ唯物論者/別の展開の徴候。目的論の容認

 

XI テーヌ

『十九世紀フランツの哲学者たち』。エクレクティスム批判/「イギリス実証主義」研究/ミルとテーヌの差異、「普遍的科学」の構想/スピリチュアリスムへの合流の可能性

 

XII ルナン

反形而上学的な実証主義との親近性/最近の小論の検討。進化論理解のうちに垣間見られる別種の要素/形而上学への復帰の可能性

 

XIII ルヌーヴィエの「批判主義」

反形而上学的な現象主義/感覚論との相違点。表象の条件としてのカテゴリー/原因、目的、人格性/範型としての自由/自由の命運と不死性/神の問題。絶対者へのひそかな志向

 

XIV ヴァシュロ

『形而上学と科学』/レエルとイデアルの相互排除性という原理/エクレクティスムとの根本的な合致/現象を超えるもの。無限性と、完全な秩序への進歩。形而上学と神学の対象/批判的考察。イデアの存在とは何か/レミュザの見解/ヴァシュロの見解/『心理学論考』。スピリチュアリスムの兆し

 

XV クロード・ベルナール

『実験医学序説』/ベルナールの実証主義/帰納とは実は演繹である。理性の権限/普遍的決定論の原理。生気論批判/「有機的観念」。上位の決定論/精神の哲学の萌芽

 

XVI グラトリ

グラトリのヘーゲル批判/批判の妥当性について/グラトリの方法論。有限から無限への飛躍としての「帰納」、微積分学/「帰納」概念の批判的検討/数学的無限と形而上学的無限/超越と飛躍の誤謬。グラトリにおける別種の観点。「神の感受」と自己犠牲

 

XVII 宗教哲学

ガロ、ジュール・シモン、セセ。神の存在証明の限界についての自覚/神の人格性という問題/カロ。自然の秩序と精神の秩序の一致の源泉としての神

 

XVIII 存在論主義

その系譜と主張者たち/「存在」概念の問題

 

XIX ストラダ

『究極的オルガノンの試み』/現代の問題的状況。「存在」の取り逃し。感覚と知性との対立/ヘーゲル批判。否定に対する肯定的存在の先行性/精神の第一義的対象は存在である/方法と基準の問題。既存の諸基準の欠陥/神的なものの顕現としての「事実」/存在と精神の結合

 

XX マジ

『科学と自然』/ボルダス・ドゥムーランとの対比/大きさと完全性、延長と力/形而上学的原理としての力/その他の形而上学者たち

 

XXI 物理学の形而上学

レミュザとマルタン

 

XXII 心理学

観念連合の問題/メルヴォワイエ『観念連合についての研究』/ヒューム以降の流れ/知性の発生というテーマと感覚論的傾向。ヘルバルト、スペンサー/グラタキャプ『記憶の理論』/能動的習慣としての記憶/含意の展開。知性の真の起源としての精神

 

XXIII アニミスム論争

オルガニシスム、ヴィタリスム、アニミスム。系譜と最近の論争の経緯ならびに背景/ブイエのアニミスム/批判的検討

 

XXIV 唯物論

ビュヒナー『物質と力』/唯物論とオルガニシスムへのジャネの批判/唯物論の誤謬。「下位のもの」は「上位のもの」を説明しない

 

XXV ヴュルピアン

『生理学講義』。オルガニシスムの支持/論争の膠着状態に対するラヴェッソンの所見

 

XXVI 脳生理学、神経学

骨相学失効後の状況/脳について。思惟の道具としての脳/脳髄の構成部分と「反射運動」の問題/諸部分の相互補完性と連続性。思惟と機械的運動との連続性というアニミスム的結論/この連続性は思惟を機械論に還元するものではない/神経系について。「迷走神経」の中間的性格/「生命」のビシャ的二分法の欠陥/グラトリの考察

 

XXVII 本能

博物学、生理学からの寄与/知性ないし理性の本質上の特殊性と、事実上の本能との共存/習慣とその遺伝からの本能の説明

 

XXVIII 睡眠と夢

古典的理論。ビラン、ジュフロワ/最近の研究。レリュ、ルモワヌ、モーリー/睡眠の哲学的意味

 

XXIX 精神異常

法的責任の問題/問題を前にしての唯物論者の無力/ルモワヌの対論/狂気における理性という問題/精神医学者たちの見解。理性の不壊

 

XXX 狂気

狂気と天才の関係

 

XXXI 表情と言語

表情の生理学的説明/感情表出の自然性/言語起源論上の含意。精神の自然な発露としての言語/精神の創造力

 

XXXII クルノー

秩序と理由についての蓋然論/哲学と科学/科学者たちへの評価/ラヴェッソンからの別評価/蓋然性をも包摂する根本的な秩序と理由

 

XXXIII デュアメル

推論と論理学/発見の方法としての「分析」/完全な証明の条件/同一律の根源的意味/「総合」の価値/近年の哲学における方法観の変化

 

XXXIV 道徳論

ジュール・シモン。宗教からの道徳原理の独立性/「独立」道徳派/自由の問題。ルキエ、ドルフェス/不死性の問題。ランベール/普遍的功利性の道徳。ヴィアール/心情と愛の重視。シャロー/善、愛、知恵

 

XXXV 美学

美と善の関係。シェニェの見解/美の定義。シャルル・レヴェック/ラヴェッソンの見解。美の原理としての愛。美学上の諸カテゴリーの解明

 

XXXVI 結論――精神の肯定、スピリチュアリスム的実在論の到来

今世紀冒頭の哲学の変化/エクレクティスムの不十分さ/実証主義、あるいは新たな唯物論。観念論への隠された志向/唯物論に至る分析、観念論に至る総合/ラヴェッソン的総合判断。「原因」とその意志的性格、イデアルな完全性/「イデア」の一般観念化という陥穽。多くの観念論と唯物論の相似/「絶対的な内的能動性の意識」という観点。総合の真の原理としての自己反省、ならびに絶対者の直接的意識/ラヴェッソンのパースペクティヴ。完全なる絶対的人格神、人間的魂、有機体、無機物、物理的現象/道徳的必然性の支配/自然諸科学と形而上学の関係/哲学をめぐる近年の状況の変化。「スピリチュアリスム的な実在論・実証主義」の到来/能動的作用としての「精神」の実体性。標識:「思惟の思惟」・「自己原因」「存在と本質の一致」/諸存在の創造の起源の問題。神話と古代哲学、キリスト教からの示唆――絶対者の自由な犠牲と贈与、愛/現代のスピリチュアリスム的運動とフランス

 

解説

あとがき

人名索引

というわけで、世界学術マップをこしらえ中の私にとっては、幾重にもありがたい訳業であります。

なお、 紀伊國屋書店新宿本店の人文書コーナーでは、じんぶんや特別企画として「19世紀フランス哲学、再発見のために――ラヴェッソン『十九世紀フランス哲学』刊行記念」のブックフェアが開催中です。

 

Google books: Félix Ravaisson-Mollien, La philosophie en France au XIXe siècle (Imprimerie Impériale, 1868)

知泉書館:ラヴェッソン『十九世紀フランス哲学』

 

 

十九世紀フランス哲学

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習慣論 (岩波文庫 青 687-1)

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