「グローバルメディア2005 おたく:人格=空間=都市」


東京都写真美術展で開催中の「グローバルメディア2005 おたく:人格=空間=都市」を参観する。


昨年のヴェネツィアビエンナーレ国際建築展に出展された日本館の展示を再構成したもので、会場には食玩、おたくの個室、レンタルショーケース(コインロッカー状に並ぶ透明のケースに利用者各人が商品でもある各種作品を陳列するスペース)コミックマーケット会場の様子を示した平面図、そこで販売される作品、アキハバラの街のミニチュア、ゲーム、アニメ、漫画など各種作品のポスターなどがアキハバラという街や関連ショップの内部さながらに高密度に展示されている。


以前、美術誌で報じられていたヴェネツィアの展示会場の写真では、(当然のことながら)諸国の参観者が少しく当惑したようなおももちでしげしげと眺めいっていた(というのは私の気のせいかもしれないのだけれど)。恵比寿の展示場がちょっとおもしろいと思ったのは、私が見たところ参観者の大部分が、とうのおたくたちであるところ。彼/彼女たちは展示物を指差したりしながら活き活きと会話を交わし、薀蓄を傾けている(彼/彼女たちほどそこに並べられている作品の詳細に通じていない私は、その会話のはしばしから多くのことを教えられた)。


それにしても。この展示の密度と空間を飾る色彩たるや、元ゲーム屋としてそうした絵柄や色、あるいはアキバ的なアイコンに慣れているつもりの私も、そのただならなさに圧倒される。このただならなさはなにか。


人間が自分のたのしみのために作りうるファンタジーには、さまざまなかたちがあるけれど、ここに集積されている作品に共通する特徴は、二次元のイラストにデフォルメされたキャラとそこに付与される(性格を含む)諸属性への偏愛とセクシュアルな欲望がとったさまざまなかたちだ(三次元の作品もあるけれど、それはもちろん二次元に描かれたものをさらに三次元におこしたものだ)。



本展覧のコミッショナーを務めた森川嘉一郎(もりかわ・かいちろう, 1971- )氏は、かつて、このおたく的な好みがアキハバラという街全体の景観をもかえてしまったという現象を趣都の誕生——萌える都市アキハバラ幻冬舎、2003/02、amazon.co.jp)で考察してみせてくれた。展覧会場に、「Expo'70」会場の写真が置かれているのは、《大阪万博に象徴される未来への憧れが失速したあとの世界では虚構のキャラへの萌えがそれに代替した》という同書でも呈示された史観を反映しているためだ。


大阪万博以後に生を享けて、物心ついたときからすでに「未来」という言葉に魅力を感じたことがないという個人的な経験に照らすと、この史観には一定の説得力があるように思う。未来を信じたりそのために行動を起こしたりしないかわりに、眼の前にある虚構の創作世界に沈潜するというメンタリティは、たしかにある。とはいえ、おたく的なあり方が悪いとは思わない。むしろ、かつて言われていた「未来」という言葉に託されていた内実のほうこそ疑われてしかるべきだろう。



かつてエチエンヌ・バラールというフランス人が、『オタク・ジャポニカ——仮想現実人間の誕生』新島進訳、河出書房新社、2000/05、amazon.co.jp)で日本のおたく文化を考察して、おたくとはひょっとしたら資本の増大のみを至上の価値としてきた上の世代への抵抗ではないか、と述べていた。当事者に資本主義への「抵抗」の意志があるかどうかはおおいに疑問だけれど、結果的に見ればおたく的な好みのあり方が、経済的な豊かさを志向してきた未来像とはちがう、昨今巷で使われる言葉で言えば「勝ち組/負け組み」のモノサシでは測れない生き方であることはたしかだ。もちろんそうはいっても、おたくが依拠するキャラやアニメ、漫画、ゲームといった諸作品それ自体は、資本の論理を条件として生み出されているものでもあるのだから、おたく的な生き方がそのまま資本主義へのオルタナティヴであるといったお気楽な話ではない。


と、いったことを考えながら場内を参観しているさなか、この会場に足を踏み入れたときに感じた「ただならなさ」の正体が不意に腑に落ちた。それは至極簡単なことで、私がたじろぎを感じたのは、ここまでなにか特定の対象に熱中できる、彼/彼女たちのその熱意の高さであったのだった(なあんだ)。


ここに展示されているものは、まさしくある「趣味」を共有する人びとにのみ理解されうるものばかりだ。アニメ、ゲーム、漫画に関心のないひとには、なにがおもしろいのか、彼/彼女たちがなぜそうした虚構のキャラや世界にここまで関心を傾けることができるのか、理解できないかもしれない。しかし、それでもこの展覧会に足を運び、この熱意の高さを体験するだけの価値があると思う。というのも、この感覚、本来ならファインアートの展示でも感じられてしかるべきものだと思うのだが、管見では他の場所ではなかなかお目にかかれないものだからだ。かろうじて似た感覚を得られる場所で思い起こせる場所は、ほかならぬアキハバラをのぞけば、店主の熱意が書棚の全域に注ぎ込まれている古本屋くらいだろうか。いや、単に私の狭い行動範囲のなかに見出されないだけだとは思うけれど。


なお、本展覧は2005年03月13日(日)まで。


東京都写真美術館
 http://www.syabi.com/


⇒哲学の劇場 > GP MAP > 森川嘉一郎趣都の誕生——萌える都市アキハバラ
 http://www.logico-philosophicus.net/gpmap/books/MorikawaKaichiro001.htm