2004年12月にワイズ出版から刊行された若松孝二(わかまつ・こうじ, 1936- )氏の著作『時効なし。』(小出忍+掛川正幸編、ワイズ出版、2004/12、amazon.co.jp)の刊行を記念して、特集上映が開催された。


イヴェントの一環として、若松監督と足立正生氏(2000年にレバノンから帰国)のトークが催された。監督と脚本家という関係で、喧嘩をしながら恊働してきたという二人のトークから、制作時のせめぎ合いの様子が垣間見えて興味深い。若松さんに言わせれば足立さんが書いてくる本は観念的な台詞が多い、だから削ってしまう。それに対して足立さんは、台詞にはたしかに語られたにもかかわらず印象に残らないという機能もあるという(ここ、もすこし敷衍してほしかった)。


作家には死という時効があるが、一度世に送り出された作品には時効はない(『時効なし。』)、という若松さんの言葉が印象に残る。この特集上映でも、いまから30年ほど前につくられた映画がスクリーンにかかる。制作された時代の文脈を離れて、時効なき作品は21世紀初頭の現在、どのように受け止められてゆくのか。四方田犬彦氏は、同書に寄せた書評でこんな風に述べている。

小津安二郎の映画について、人はいくらでも饒舌を重ねることができる。だってそれは文化の安全地帯の内側で生じる一事件にすぎないからだ。デリダについて、人はいくらでもお洒落な雑文を書くことができる。だってそれは既成の知的秩序のなかで生じる、優雅な戯れにすぎないからだ。誰もが競って口にしている。もう文化にスキャンダルはありえない。アンダーグランドという領域はもはやノスタルジアに属してしまった。それがポストモダンゲームの規則なのだと。


だが、本当にそうなのか。ここに一人の映画監督がいて、スキャンダルにもアンダーグランドにも時効などないのだと、ドスの効いた声を響かせているとしたら。若松孝二のこのインタヴューが語っているのは、世界にはまだけっして秩序に回収されることのない、映画の危険な領域が頑強に存在しているという事実だ。

(『週刊読書人』第2574号、2005年02月11日)


時効なき作品をめぐって文化の既成秩序の外にあるなにごとかを、手探りで感受・思考すること。四方田氏の挑発は皮肉が半分だろうけれど、残りの半分は傾聴に値する叱咤であると思う。それは、若松氏からの挑発にきちんとのろうじゃないか、という呼びかけでもある。


今回は、とりわけ赤軍——P.F.L.P.世界戦争宣言』を観る機会がえられてうれしい(作品についてのコメントは別途)。



足立さんは新作『十三月』の準備中だという。


⇒作品メモランダム > 2005/01/15 > 若松孝二『時効なし。』
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20050115#p2