★中村洪介『近代日本洋楽史序説』(林淑姫監修、東京書籍、2003/03、amazon.co.jp


ここは文化の吹き溜まりだといったのは誰だったか忘れたが、大陸から見て東の果てともいえる日本には、本当によく諸外国の文物が流入してごたまぜになっている。


いまでこそヨーロッパからやってきたクラシック音楽だろうが、アメリカのジャズだろうが、ブルースだろうが、ロックだろうが、メタルだろうが、ポップスだろうが、宗教音楽だろうが、民族音楽だろうが、実験音楽だろうが、(中略)、どこのなにであろうが、個々人によって好みに違いはあれどもいちいちそれを怪しんで遠ざけるということはない。私たちはごくふつうに、そうした諸ジャンルの(あるいはノン・ジャンルの)音楽を選択肢としてあの音楽もこの音楽もその音楽も聴くという習慣をもっており恬然〔てんぜん〕としている。


しかしはじめからこんな状況だったわけではない——だなンてことはいまさら私が力説することではないのだが、それでは実際にはどのようにしていまあるような音楽環境ができてきたのかということになると一部の音楽学者をのぞくとなかなか覚束ないのではなかろうか。しかし(というかそれだけに)、物事のはじまりや激変期について知ることは実に愉快なことだ。いま空気のように当たり前に受け入れている文物がどういう来歴でもってそのようになったか。それを知ると知らぬとでは、その文物の見え方もちょっとかわってくるだろう。



前置きばかりしていても詮無いが、本書『近代日本洋楽史序説』こそは、洋楽、つまりは、西洋音楽がいかにして日本に伝えられたかを克明に追跡した労作中の労作である。著者・中村洪介(なかむら・こうすけ, 1930-2001)は、日本に洋楽が伝播する経緯を跡付けるにあたって、1800年前後(江戸後期)に筆をさかのぼらせている。明治維新によって西洋文物の移入が加速する以前、日本には西洋音楽はどのように伝わっていたのか。手始めに検討されるのは、『北槎聞略』(1794成稿)、つまり、大黒屋光太夫(だいこくや・こうだゆう, 1751-1828)のロシア漂流の顛末を蘭方医の桂川甫周(かつらがわ・ほしゅう, 1751-1809)がまとめた書物である。なぜ『北槎聞略』なのか? そう、中村は同書にあらわれる楽器の説明などの、音楽関連の記述を集めて検討にかけているのだ。


宇田川榕菴「大西楽律考」
つづいて取り上げられるのは、大槻玄沢(おおつき・げんたく, 1757-1827)の『環海異聞』(1807)、さらには、蘭和辞書『訳鍵』(1810)、和蘭字彙』(1858)、英和辞書『諳厄利亜語林大成』(1814)、『英和対訳袖珍辞書』(1862)、仏和辞書『仏語明要』(1864)、宇田川榕菴(うだがわ・ようあん, 1798-1846)による「大西楽律考」……著者はこうした書物の関連箇所を丹念に抜き出し、繙読し、コメントを加えてゆく。


と、こう書けば本書がどのようなスタイルで近代日本への洋楽伝播を浮かび上がらせようとしているのか、という手際の一端がうかがえるに違いない。歴史研究書なのだから当然といえば当然のことながら、あくまでも具体的な資料の該当箇所(外国文献なら原文と訳文)を引証し、これに節度ある解釈を加える。この当然の仕事が有り難い。もちろん、その辺の教科書を開けば、16世紀のキリスト教伝来とともに宗教音楽が伝わり、宗教の弾圧と鎖国政策によって移入も下火になり、明治維新とともに今度は軍楽隊整備の必要と教育目的を中心として移入が推進された——という程度のことは書いてある。しかし、(これはそれこそどのような歴史の教科書にも言えることなのだが)その数行の記述が、いったいどのような資料に支えられて可能になっているのか、ということになると門外漢の手にはいる書物ではなかなか垣間見ることができない*1。資料集+解釈集という体裁をとった本書は、そうした渇望におおいに応えてくれるものだ。


内容を下手に要約するよりも目次を拾っておこう。

・序 音楽における近代


・第一章 江戸後期から維新期へかけての洋楽
 ・第一節 江戸後期の洋楽知識
 ・第二節 国内における洋楽体験
 ・第三節 海外における洋楽体験


・第二章 官制音楽の整備
 ・第一節 軍楽隊誕生
 ・第二節 雅楽課伶人の活動
 ・第三節 音楽取調掛と音楽教育の普及


・第三章 非官制音楽の浸透
 ・第一節 キリスト教音楽
 ・第二節 一般音楽界の動向[未完]


・監修者あとがき
・人名索引


本書の文字通りの博捜の跡を追えば、読者は資料が伝存する限りにおいてではあるけれど、誰が誰にどの楽器を習い、いつどのような曲を聴き、演奏したのか、軍楽隊の制度はどのように変遷し、楽隊員はどのような待遇を得ていたのか、といった出来事の痕跡に遭遇することができる。著者によるひとつひとつの解釈についてその是非を判断する能力はもとより私にはないのだからそれについて云々することはできないが、先に述べたように資料集としてもたいへん便利なもので、明治期日本の洋楽事情や、明治期の文物全般に関心のある向きは必携の一冊ではないかと思う。さっと一読するのも愉快だが、つぶさに読めば優に一年は愉しめること請け合いである。


ところで、残念なことに本書は著者の遺稿となった。林淑姫(りん・しゅくき)氏の「監修者あとがき」によると、著者は本書全体を全六章で構想していたようだ。上記目次の続きは以下のようなものであったらしい。

 ・第三節 幾つかの音楽論
 ・第四節 民衆の反応
 ・第五節 外から見た明治初期の音楽界


・第四章 明治後期の音楽界
 ・第一節 演奏面から
 ・第二節 創作面から
 ・第三節 音楽ジャーナリズム
 ・第四節 聴衆の成育


・第五章 大正時代の洋楽——大震災まで
 ・第一節 時代の概観
 ・第二節 音楽の商品化
 ・第三節 大震災の影響


・第六章 昭和前期の洋楽——敗戦まで
 ・第一節 国際化の時代
 ・第二節 創作と演奏
 ・第三節 戦時中の音楽界


・付録 近代日本洋楽史年表


遺された原稿と同じ密度でこれらの構想が実現されていたら、いったいどのような書物が現れたのだろう。


なお、同書の類書には下記もある。


中村理平『洋楽導入者の軌跡——近代日本洋楽史序説』(刀水書房、1993/03、amazon.co.jp


こちらも浩瀚な一冊で、目次は以下のとおり。

・序論
・本論―洋楽導入者の軌跡
・第1章 L.ギュティッグ
・第2章 ジョン・ウィリアム・フェントン
・第3章 ブラン―仏人ラッパ教官ブランの記録―
・第4章 ギュスターブ・シャルル・ダグロン
・第5章 アンジェルとニコラ・シモン・ブリュナッシュ
・第6章 松野クララ
・第7章 フランツ・エッケルト
・第8章 アンナ・レール
・第9章 ルーサー・ホワイティング・メーソン
・第10章 シャルル・エドアール・ガブリエル・ルルー
・第11章 ギヨーム・ソーヴレー


⇒哲学の劇場 > GP-MAP > 小泉文夫團伊玖磨 『日本音楽の再発見』
 http://www.logico-philosophicus.net/gpmap/books/KoizumiFumio001.htm
 洋楽移入ではなく同時期の日本音楽についての本だが大いに関連している


⇒東京書籍
 http://www.tokyo-shoseki.co.jp/

*1:そういう意味では、音楽学の専門家たちが利用している文献にはどのようなものがあるのか、興味あるところである。