『コンピュータのひみつ』のひみつ その5



拙著『コンピュータのひみつ』朝日出版社、2010/09)が刊行されました。書店のコンピュータ書コーナーに置かれています。


牧野伊三夫画伯による、松に猿という一見不思議な絵をあしらった表紙が目印です。装幀は、アリヤマデザインストアの有山達也さんと中島美佳さんによるもの。実は、この装幀自体、書物の内容と密接に関わっていたりします。


本当は、コンピュータに積極的な関心をもつ読者だけでなく、むしろ苦手意識のある(例えば)文系の読者にこそお読みいただけたら、と思ったりもしています。


というのも、本書が苦手意識を克服する一助となるのはもちろんのこと、もう少し根底的なことを申せば、本書では、「AをXとして見る」という、人文諸学が大得意とする「解釈」がとても大きな役割を持っているからでもあります。


そういう意味では、むしろ人文書の棚などにも置いていただけたら嬉しいのですが、さすがにそういうわけにも参りませんでしょうか。



さて、コンピュータをどのくらい分かっているかを確認するには、コンピュータに「できること」と「できないこと」を区別できるかどうかを考えてみる、という手があります。


それこそ、メールの送受信やネットの閲覧、文書作成、印刷、DTP、グラフィック作成、音楽や映像の視聴、あるいは作曲、表計算、ゲーム、プログラミング、などなど、年々、誰かが新しいアイディアを考え出し、ハードやソフトを作り出すとともに、コンピュータでできることが増えています。あまりに用途が多様なので、できないことなどあるのかという気さえしてくるかもしれません。


でも、果たして、どこまでのことができるのでしょうか。裏返して言えば、コンピュータにできないことはあるのでしょうか。


実は、このことを明確に言えるかどうかによって、コンピュータを理解している度合いがたちどころに分かります。


コンピュータのことがよく分からない人にとって、これは難問です。しかし、おそらくは、コンピュータをそれなりに使いこなし、理解している人にとっても、すっきりと答えるのは、場合によって難しいかもしれません。


これは、『コンピュータのひみつ』朝日出版社、2010/09)で論じていることの一つです。同書を通読していただくと、コンピュータにできること/できないことの境目が、いくつかの水準で分かります。


しかも、それは、コンピュータのハードやソフトが今後どんなに変化していったとしても、ずっと応用が利くタフな理解なのです。あまり自分で云うと、手前味噌が過ぎますが、帯の背に「この理解は一生もの!」と刷られているのは、伊達や酔狂ではありません。


なぜ、ハードやソフトがさまざまに変化し、多様なコンピュータを、そんなふうに理解できるのか。そこには、「見立て」の問題があります。ハードやソフトが変わっても、コンピュータという装置を、ある視座から見立てることによって、うまく捉え続けることができるのです。


管見では、従来のコンピュータ入門書や解説書の多くに欠けていたのは、この見立てるという姿勢でした。ハードの技術的な知識だけでもなく、ソフトの具体的な使い方の知識だけでもなく、それに加えてコンピュータに見立てを与えることで、肝の据わったコンピュータ理解が得られるのであります。


(つづく)


朝日出版社 > 『コンピュータのひみつ』
 http://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255005447/


Amazon.co.jp > 『コンピュータのひみつ』
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