本を注文した私と受けとった私

本が届く。

開封して「?」となる。

表紙を眺めているうちに、「ああ」と思い出す。少し前にTwitterで誰かが紹介しているのを見て注文したのだった。海外から届くのにちょっと時間がかかったわけだ。たしかに注文しましたよ。

本を注文してから届くまでの3週間、そのあいだも日々を暮らしながら、あれこれを耳目にしたりして、少しだけ体は年をとり、記憶もいろいろ変わっている。それを別人といえば言い過ぎかもしれないけれど、本を注文したときの私とぴったり同じかといえばそうではない。やっぱり変わっている。

それで、場合によってはせっかく届いた本を棚のしかるべき場所に置いてしばらくそれきりということにもなる。

パソコンが、ユーザーの使い方や好みを機械学習できるとする。

ある時点でのユーザーの操作がデータとしてPCに保存され、それまでの操作の記録とあわせてその特徴が抽出される。そうして生成されたデータに基づいて、PCは次回またユーザーである私がそのPCを使うとき、いろいろなサポートをしてくれる。そんな仕組みがあるとする。

いま、私が2021年7月10日と13日にそのPCを使ったとする。7月10日の使用を終えた時点で、PCは私の操作履歴を学習して、次回の利用に備える。

7月13日に私はそのPCを使う。でも、なんだかしっくりこない。PCからのサジェストが、自分の好みとはずれているような気がする。

なぜそんなことになるのか。PCは7月10日の時点でのユーザーの操作に基づいてサポートを提供する。だが、その後、7月13日にいたるまで、私はさまざまな経験を経て、考え方や記憶の状態が変化している。もはや7月10日の時点の私とはちょっと違っている。でも、PCはそんな変化を検知しようもない。

そんなふうにして、変化し続ける私とPCとのあいだには、いつもギャップが生じる。

インターネットの広告では、いま述べたようなことが、もっと粗雑な状態で生じているのだと思う。