イヴェント「科学と科学哲学――はたして科学に哲学は必要なのか?」

2019年2月22日(金)にゲンロンカフェで「科学と科学哲学――はたして科学に哲学は必要なのか?」というイヴェントがあります。

伊勢田哲治さんと三中信宏さんによる討議で、山本は司会として参加します。

科学と科学哲学の関係、あるいは知識や技術と哲学の関係について広く深く検討する場になればと念じております。

 

ルイス・キャロルの数学書

『不思議の国のアリス』でお馴染みのルイス・キャロル(1832-1898)による数学書。

リンク先のInternet Archiveの書誌では、著者がLewis Carrollとなっているけれど、本には本名のチャールズ・ラトウィジ・ドジソン(Charles Lutwidge Dodgson)で表記されている。

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寄稿「学術アトラスの構想」PDF版

『大学出版』第117号(大学出版部協会)がPDFでも公開されました。

特集は「学術書を読む」で、以下のエッセイが収録されています。

三中信宏「学術書を読む愉しみと書く楽しみ――私的経験から」

山本貴光「学術アトラスの構想」

景山洋平「大学の授業で専門書を読む――哲学の場合」

三浦衛「無限に触れる」

私は学術書を読むというテーマにかこつけて、学術書を読んだり自分の知識を整理するのをいっそう楽しく有意義にするためのデジタル環境についてアイデアを書いております。

これはコンピュータのOSを人間の記憶に資するものにするという個人的プロジェクトの一環でもあります。

といっても、なかなかプログラムを書くための時間を確保できないのでアイデアしか進まないのですけれど……。

アンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』(創元推理文庫)

今年は昨年の反省をもとに、仕事に直接関わらない本を読む時間を意識してつくることにした。

油断していると仕事に関わる本ばかり読んでいて、これではなんだかまいってしまうと思ったのだった。

こういうときは、どっぷりすっかり没頭できるミステリがよい。

というのでこのところ、アンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』(山田蘭訳、創元推理文庫、2018)をちびちびと読んでいた。

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すでに大評判の本だけに、いまさら私が讃辞を述べたところで詮無いようなものだけれど、これは本当に楽しめるミステリだった。

主人公のスーザン・ライランドは、出版社に勤める編集者。小説は、彼女が自宅で原稿を読もうとする場面から始まる。

いえ、多くを語るつもりはないのでご安心を。ただ、もしまだあなたがお読みでなかったら、こんな書き出しの小説に惹かれるかもしれないと思って冒頭をご紹介したい。

ワインのボトル。ナチョ・チーズ味のトルティーヤ・チップスの大袋と、ホット・サルサ・ディップの壜。手もとにはタバコをひと箱(はいはい、言いたいことはわかります)。窓に叩きつける雨。そして本。

これって最高の組み合わせじゃない?

ワインからタバコまでの組み合わせは人によりけりだとして、居心地のいい部屋でこんなふうに本を手にできたら最高だ。人によってはこの描写のようにこの本を手にして読み始めるかもしれない。

『カササギ殺人事件』は世界各国で愛され、ベストセラーとなった名探偵アティカス・ピュントのシリーズ第九作だ。八月の雨の夜、わたしが読みはじめたこの作品は、このときはまだ原稿のプリントアウトにすぎない。これを出版するために編集するのが、わたしの仕事だ。まずは楽しんで読もうと、心に決めた。この夜、帰宅したわたしは……

そう、どうやら彼女は、私がいま読もうとしている本と同じタイトルの原稿をこれから読もうとしているらしいのだ。しかも、この本のせいで彼女の人生は変わったと思わせぶりなことを言う。そんなふうに彼女のおしゃべりが少し続いたあとで、改めて扉のページが現れる。

名探偵アティカス・ピュント シリーズ

カササギ殺人事件

アラン・コンウェイ

小説中で小説が始まる。もうこの仕掛けだけでたまらない。

毎晩少しずつ、仕事と睡眠のあいだのちょっとした時間を使って、残りページが減ってゆくのを惜しみつつ夢中になったのだった。

原作はAnthony Horowitz, Magpie Murders (2017)。

おかげで、次に息抜きで読む本を選ぶのが難しい。何冊か読みかけては棚に戻し、結局、新訳なったアガサ・クリスティ『ミス・マープルと13の謎』(深町眞理子訳、創元推理文庫、2019)を読むことにした。昔旧訳を読んで面白いことを知っている本だけど、中身はすっかり忘れているのでこのたびも楽しめそう。

 

資料「アラビア語とラテン語によるプトレマイオス」

プトレマイオスの天文学書と関連文献について、アラビア語とラテン語の資料を集めて研究するプロジェクト。

プトレマイオスの著作や彼に帰される文献、プトレマイオスへの注釈などの関連文献(中世から1700年まで)を含むとのことで、写本のカタログ、画像、用語集、テキストなどが公開されています。

 

文具「ペーパーラップノート」

年表をつくるのが好きだ。

ノートやパソコンにいろんな年表をつくっている。いまは公開していないけれど、かつて「哲学の劇場」というウェブサイトを吉川浩満くんとつくっていろいろな文章を掲載するなかに、文化と思想の年表というコーナーもあった。

年表はできたものを使うというよりも、つくること自体が頭の整理になる気がしている。いろんな場所から日時と出来事を拾ってきて、ひとつの場所に並べてゆく。「おお、これはここに入るのか」とは、なんだかジグソーパズルのようだが、そんなことでもなかったら並べてみることもなかったかもしれないような出来事の配置を確かめる作業でもあるのだ。

年表について、いつかやろうと思いながら実現していないことがある(そんなことを言ったら、アイデアだけで実現してないことは山ほどあるのだけれども)。

たくさんの紙をつなげて一本の巻物として年表をつくるということをやりたい。そう思って、これはと思う紙を選んで、なるべく小さな字を書けるようにとできるだけ先の細いペンも選んである。だが、まだ製作にかかれていなかった。

先ほどtwitterを眺めていたら、面白いものが目に入った。

https://www.watch.impress.co.jp/img/ipw/docs/1166/755/img2_s.jpg

(画像は下記ウェブページからリンク)

サランラップではない。「ペーパーラップノート」といって、紙を必要なだけ引き出して使えるノートなのだという。つまり、紙の幅を用途に合わせてカットできるというアイデアだ。

「これだ」と思った。

そう、これをカットせずに使えば、そのまま巻物ではないか。どうも15メートルほどあるらしい。2本つなげば30メートル、4本で60メートル、8本で120メートルである。

長い紙のことを想像するだけでワクワクしてきた。

まずは入手してみよう。

 

 

講義「インターフェイスを考える――「あいだ」で何が起きている?」

先日、1月19日にミームデザイン学校で講義をしました。

同校にはブックデザインコースとデザインベーシックコースという二つのコースがあります。また、両コースの学生と卒業生が受けられる共通講座が何回かありまして、私の担当はそのうちのひとつです。

今回は「インターフェイスを考える――「あいだ」で何が起きている?」と題して、人間と本のあいだで何が起きているかについて検討しました。

本や書棚はそれ自体が一種の記憶術の装置であることや、本を手にして読むとき、自分の心身になにが生じているかについての観察など、例によってあちらこちらととっちらかった話をしたのでした。要約すれば、いわゆる「ユーザー体験」、人がゲームや本やなんらかの道具に触れて使うとき、どんな経験をしているのか、それをどのように設計するのかといったことを考える時間でした。

気が早いようですが、次回2019年度も共通講座を担当することになりました。

今回は「マルジナリアから考える」と題しております。内容については、下記ミームデザイン学校のページで公開されております。