「ただ己の為にのみ書いたマラルメさえ、当然選ばれた最小限度の読者を必要としたのであるが、ランボオは、文字通り誰の為にも書かなかった。彼には、彼の意志によって発表された作品は一つもないのである」


小林秀雄ランボオIII」(1947)

ランボオは、詩の為に、疑い様のない外部の具体世界を奪還した。そして、これは大事な事であるが、ただただ彼自身の現存という動機によってである。だが彼のこの唯一の動機は、あまり自明であり、詩作に関して様々な動機が必要だった人々には、却って不明と見えた。彼には何んの術策もなかった」


小林秀雄ランボオIII」(1947)

「『千里眼でなければならぬ、千里眼にならなければならぬ、と僕は言うのだ。詩人は、あらゆる感覚の、長い、限りない、合理的な乱用によって千里眼になる。恋愛や苦悩や狂気の一切の形式、つまり一切の毒物を、自分を探って自分の裡で汲み尽し、ただそれらの精髄だけを保存するのだ。言うに言われぬ苦しみの中で、彼は、凡ての信仰を、人間業を超えた力を必要とし、又、それ故に、誰にも増して偉大な病人、罪人、呪われた人、――或は又最上の賢者となる。彼は、未知のものに達するからである。彼は、既に豊穣な自分の魂を、誰よりもよく耕した。彼は、未知のものに達する。そして、狂って、遂には自分の見るものを理解する事が出来なくなろうとも、彼はまさしく見たものは見たのである。彼が、数多の前代未聞の物事に跳ね飛ばされて、くたばろうとも、他の恐ろしい労働者達が、代わりにやって来るだろう。彼等は、前者が斃れた処から又仕事を始めるだろう』」


ランボオからドムニイ(Paul Demeny)宛の書簡(同前掲書中の小林秀雄の訳)

この「千里眼」(voyant)、この詩作という営為をめぐる省察ランボーによる原文をここに引くこと。

ランボオにとって、詩とは、或る独立した階調ある心像の意識的な構成ではなかったし、又、無意識への屈従でもなかった。見た物を語る事であった。疑い様のない確かな或る外的実在に達する事であった。然し誰も見ない、既知の物しか見ない。見る事は知る事だから。見る事と知る事との間に、どんなに大きな隔たりがあるかを、誰も思ってもみない。僕等は、そういう仕組に出来上がっているから。何故か。ランボオは l'intelligence universelle (普遍的知性)という言葉を使っているが、僕等は、何時の頃からか、その俘囚となっているからである。僕等は大自然の直中にある事を知らない、知らされていない。歴史が僕等を水も洩さず取り囲んでいるからだ。そして歴史とは、普遍的知性の果実以外の何物であろうか」


小林秀雄ランボオIII」(1947)

「僕は『他界から取って来るものに形があれば形を与えるし、形のきまらぬものなら形のきまらぬ形を与える』(これは前に引用した手紙のうちの文句である)。それは実験の結果であって、僕の知った事ではない。実験の手続きに、ごまかしはない。(……)彼は未知の国から火を盗んで来る。近寄るものは火傷する。僕等は傷口に或る意味が生ずるのを感ずる。だが、詮ずるところ凡そ本物の思想の誕生というのもは、皆そういうものではあるまいか。論証だけで出来上がった思想は、人々の雷同性を挑撥するより他に能があるまい。(……)『他界』を立証する前に、『他界』は信じられていなければならぬ」


小林秀雄ランボオIII」(1947)

「僕等が理解している処から得ているものは、理解していないところから得ているものに比べれば、物の数ではあるまい」


小林秀雄ランボオIII」(1947)

「もしも生活することが人間的なものであれば、生活することが動物的に見えるような、もっと人間的な生活がもう一つある」


「旧文學界同人との対話」(座談)(1947)

文芸時評も創作や批評の方法論や器用な作品月評による文壇の居候たることを止め、眼を広く読者の側に移し、文学という社会的現象を率直に眺めるように努めたなら、文明批評、文化批評の新しい形式は専門的な政治評、経済評より寧ろ文芸時評の形式のうちに現れるだろうと期待している」


小林秀雄文芸時評について」(1947)

辰野 (……)とにかく西田先生でも田辺教授でも、判らせるということにちっとも努力してないな。いかんなア。
小林 そりゃしませんよ。思想というものは頭さえよければ誰にでも判る筈のものだ、言葉はディアレクチックの符牒に過ぎないと信じ込んでいるのだからどうも難しい事ですね。例えば思想というものは判らせるだけでは足りない、感じさせなければならぬ、そういうものが本当の思想だとします。哲学者にそう言うと、それに相違ないと答える、説明してほしけば何故そうか説明してあげると言う。ところで説明というものは唯判らせるに過ぎん、少くも感じさせるものではない。妙な人種ですよ、哲学者というものは。こんな滑稽なパラドックスプラトンにはありません。どうも僕は近世の哲学というものは好かない」


「鼎談」(座談)(1947)

小林 (……)美術や音楽は、僕に文学的な余りに文学的な考えの誤りを教えてくれるだけなのだ。妙な言い方だがね。文学というものは文学者が普通考えるより、実は遥かに文学的なものではない。僕はそういう考えを持つに至った」


小林秀雄坂口安吾「伝統と反逆」(対談)(1948)

小林 (……)抽象的批評的言辞が具体的描写的言辞よりリアリティが果たして劣るものかどうか。そういう実験にとりかかったんだよ。これは僕らの年代からですよ。それまでには、ありゃアしません」


小林秀雄坂口安吾「伝統と反逆」(対談)(1948)