★ジャン=リュック・ナンシー『侵入者――いま〈生命〉はどこに?』西谷修編著訳、以文社、2000/09、amazon.co.jp
 Jean-Luc Nancy, L'INTRUS (Editions Galilee, 2000)


ナンシーは1991年に心臓移植を受けた。心臓移植を受けるということは――ナンシーはそのことに直接言及しないが――その心臓を提供した脳死者がいたということだ(フランスでは1978年から脳死が法律で認められている)。


ナンシーによる心臓移植を生きるという事態がどういうことかについての小文が興味深いことはさることながら、本書でもっとも見るべきものが多いのは西谷さんによる論考「ワンダーランドからの声――侵入者の余白に」である。


といっても同テクストは、ナンシーの仕事を概略したあとに、死は単独で完結しない出来事であること(小松さんの言葉でいえば死は「個人閉塞の死」ではなく「共鳴する死」であること)を確認し、脳死の法制化がはらむ問題を批判している。


西谷さんの脳死批判の議論は不十分(だってあの紙幅ではね)であるけれど、従来なら生きていると認定されたにちがいない脳死状態がいまや生死のグレーゾーンにおかれ、そうすることによって人体が「公共的利用」に供されているという問題の設定の仕方には啓発される。


もちろん、フーコーが考えた biopolitique の問題が脳死・臓器移植問題においてまさに現出している。医療テクノロジー=医療体制=市場原理の要請によって、脳死は人の死と認定される方向で法制度の整備が進められる昨今、この「技術の現段階の都合による決定」を万人の法とするわけにはいかない。


しかしだとしたら、どのように考え、行動することが必要なのか。


ナンシー自身による「一般になぜ延命すべきなのか。「延命」とは何を意味しているのか。(中略)どうして生の持続は善なのか?」という問いかけも想起しておきたい。