北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』NHK BOOKS 1024、日本放送出版協会、2005/02、amazon.co.jp)#0264


1960年代から現代にいたる日本における「反省」(reflection)の形式の変遷を歴史・社会学的に説く一冊。


本書を読んでおくればせながら、ここのところ宮台氏との対談その他で北田氏がたびたび言及していた「ロマン主義アイロニー」というモチーフの文脈とそれを論じる意図が腑に落ちた(対談ではそのあたりがいまひとつ受け止めきれず気がかりだった)。


本書の主眼は、2ちゃんねるの一部や『電車男』にあらわれているような、アイロニー(嗤い)と感動指向とが無理なく同居してしまうメンタリティや、窪塚洋介に見られる「実存主義」(本書では「この私」へのこだわりというほどの意味)と世界指向(国について考えること)とが同居するメンタリティ——「ロマン主義シニシズム」——が成立するにいたった条件を考察することにある。


糸口は、連合赤軍において極限的に遂行された「総括」に見られる「反省」の分析。連合赤軍における「総括」は集団リンチによる死者を続出した。そこではなにが達成されたときに「総括」がなされたことになるのか? という判定規準を欠いたまま、それゆえに無限の自己否定を強いられる(そして最終的には同志の助力〔という名の暴力〕を得て死に至る)反省が問題となる。


この「反省の極限」の分析を起点として、本書の論述は現代にむけて動きはじめる。時代じだいの反省のあり方を、《ひとつ前の時代の反省の形式に対する反省》というかたちで抽出して見せる手際は、そのつどの素材はどのように選び出されたのかという疑問(あとがきで北田さんご本人も書いている)はあるものの、魅力的だ。


その理路は、本書の「終章」でもチャートとして呈示されている(p.235)のだから繰り返すだけ野暮だけれど、あくまで後から本書の内容を想起するためのメモとして記せばつぎのような図式になる。


「反省の極限」への反省として「抵抗としての無反省=消費社会的アイロニズム連合赤軍の「総括」のように反省しすぎることへの反省)が1970年代半ばから1980年代初頭にあらわれた。


つづく1980年代はさらに抵抗の対象そのものを否認する抵抗としての無反省」という反省を経て、さらには「「抵抗としての」という契機を忘却したまさしく「無反省=消費社会的シニシズムが登場する。


1990年代にはいり、「無反省」への反省として、反省への欲求が起こる。ただし、政治的な問題が否応なく迫ってきた(あるいは迫ってくるかのように在った)1960年代とはことなり、情況が強く強いる対象を欠いたなかでナショナリズムのようにロマン的な対象が導入され、本書の考察対象であるところのロマン主義シニシズムが出現した、という次第。


この図式的な整理を説得的なものにするために、北田氏はそれぞれの時代ごとに傍証となる素材とその分析を呈示しているので、上記の内実に関心を持たれた方はぜひ本書を繙いていただきたいと思う。参考までに記せば、参照先として選び出されているのは、連合赤軍糸井重里津村喬浅田彰田中康夫島田雅彦、川崎徹、ナンシー関2ちゃんねる雨宮処凛などである。


自分の周囲に具体的な実例がいないためか、北田氏が現代に見てとる「ロマン主義シニシズム」の広がりにリアリティを感じきれないのはともかくとして、ここに整理された反省の歴史から、「マルクス主義という《大きな物語》が失効して云々」という大ざっぱに過ぎる見取り図から一歩も二歩も踏み出して、戦後日本の左翼思想が機能失調にいたる理路を見てとる手がかりを得られたのはとてもありがたかった。


(たとえ理念的にであれ)よりよい(よりましな)反省のあり方とはどのようなものであるか? 同時代を生きる思想家たちが向かい合っているのもまさにこのことにほかならないわけだけれど、彼/彼女たちの(そして思想家であるか否かはともかく自分たちの)営為を測定してみるためのものさしとしても、本書で呈示された図式は有益な参照点を提供してくれていると思う。


最後にどうでもよいことだけれど、北田さんの本はご本人があとがきなどで、自著の弱点を先回りして述べるので、ちょっとツッコミがいれにくい気がする。ツッコミたくなるポイントが北田さんによって先取りされているのはもちろんのこと、それ以外のことをツッコんでも「あ、それは織り込み済みですから」と返されそうな気がして。というのはもちろん単なる印象で、ツッコミたいところがあればそうすればよいわけだけれど。ともあれ、事前に「このくらいなことは著者だってすでに考えている」という自問は相手が誰であるかにかかわらずわきまえておいたほうがよいことだ(けれどしばしば忘れてしまいそうになる)。ということを「あとがき」を読みながら考えさせられた。


⇒哲学の劇場 > 作家の肖像 > 北田暁大
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