★稲葉振一郎『オタクの遺伝子——長谷川裕一・SFまんがの世界』(太田出版、2005/02、amazon.co.jp)#0263
稲葉振一郎(いなば・しんいちろう, 1963- )氏の新著。漫画家・長谷川裕一(はせがわ・ゆういち, 1961- )氏へのインタヴューと、長谷川論、作品解題、オタク史年表から構成される。稲葉氏の既存の作品でいうと『ナウシカ解読』(窓社、1996/02、amazon.co.jp)の系列に属する作品。目次は以下のとおり。
・はじめに——オタクの楽園は不毛の荒野か?
・第1章 オタクの遺伝子としてのSF——長谷川裕一VS稲葉振一郎
・第2章 マルチバースのビメイダー——長谷川裕一試論
・第3章 長谷川裕一作品解題+オタク史年表
・あとがき——素材のつぶやき 長谷川裕一
稲葉氏の「はじめに」によると、本書は「オタクの楽園は本当に不毛の荒野、管理された箱庭、ポルノグラフィックなディズニーランドでしかないのか」(p.8)? という問題について考える第一歩として企画されたとのこと。そのためにオタクの源泉であるSFについて、長谷川裕一氏の作品を通じて考察してみようという趣旨。
「オタクの楽園は不毛の荒野か?」という問いかけが示しているように、本書においてかこの後につづく(かもしれない)一連の作品のどこかにおいてかはともかく、《否、オタクの楽園は不毛な荒野ではない(一定の存在意義がある)》(かくかくしかじかという次第で)と述べることが目指されていると考えてよいだろう。
その目的と照らしあわせておもしろいのは、第1章の対話。
自分から見て10歳前後上の世代にあたるお二人が、どのようなSF、アニメ、漫画、ゲームを受容してきたのかという関心から最初の対談を興味深く拝読する。オタク兄さんの会話に同席してひたすら話に耳を傾けるような読書体験。対談につけられた丁寧かつ膨大な註もためになる(ただし註が場合によってページの上下左右についたりつかなかったりするのでちょっと探しづらいことがある)。
テーマの性格上、無数の作家名や作品名、ストーリーの細部への言及が入り乱れ、お二人の会話は熱を帯びている。この対話だけを読むと、「やっぱ、オタクの楽園は不毛な荒野なんじゃない?(そしてそれでいいんじゃない?)」と思いそうになる。
個人的には、ファースト・ガンダムをはじめ、年代的に再放送で触れたものも多いけれど、言及される作品は事後的にではあれかろうじて触れていたのでなんとか話についていけたものの、たとえばガンダム・シリーズをフォロウしていない読者には100ページからしばらくつづくガンダム談義は端的に意味がわからないかもしれない(私が心配することではないが)。そういう意味ではここで語られている作品受容体験の資源〔リソース〕に大きなズレを感じなかったのだけれど、おもしろいのは、それらの作品をリアルタイムに享受したお二人が、新機軸の登場にきちんと衝撃を受けているところ。同じ作品群でも、後から触れる者のつねとして、登場順序に関係なく再放送で観た順序、あるいは雑誌連載ではなく単行本で手にした順序で触れたためか、自分の場合は彼らと同じ衝撃を受けなかったように思う。
稲葉氏による長谷川氏へのインタヴューは、作家の作品事情や意図を的確に聞き出してくださっているので、長谷川作品の読者には非常に興味深いものになっている。というか、稲葉さん、よく読んでるなァ(そのうえ細かく記憶しているなァ)というのが偽らざる感想。
具体的な作品への言及箇所ではないのだけれど、長谷川さんがまんがを描くことを麻雀にたとえているくだりがとても印象深い。
長谷川◆ もちろん意図的にコントロールはしているんですが、まんがを描くというのは、私は麻雀を全然しませんが、麻雀をやっているようなもんだと思っているのです。牌が回ってくる。何が来るかわからない。でもそのなかでどれを捨て、どれかをとって役をつくらなければならない。(中略)
稲葉◆ 牌が向こうから来てしまうんですね。
長谷川◆ ええ。それは自分が意図したものも意図しなかったものも来るわけで、来たものを意図と違うからと言って全部否定すると、ちっとも動きがなくなってしまう。もうとにかく来ちゃったんだからって(笑)。それは思いついてしまったアイディアも含めてですけど(笑)。
(同書、p.98)
創作の困難と醍醐味をうまく言い当てているように思う。さらに言えば、麻雀では牌の全体がどういうものかがあらかじめわかっていて牌の流れをごくおおまかには予測してみることもできるけれど、現場の創作では「自分(創作者)から見て風上」にいる人物の気まぐれで、麻雀をやっていたはずなのに囲碁の石がまわってきた、などという本当に予想外の事態もまま発生するから恐ろしい。
稲葉氏の論考までを読み終えてみて、この一冊からどのようにして、《否、オタクの楽園は不毛な荒野ではない(一定の存在意義がある)》という存在(意義)証明につながってゆくのか、まだ先は見えてこないけれど、次の企画にも期待したいと思う。
私自身はどうかといえば、「オタクの楽園」は不毛な荒野というわけではない、と思っている(そうでなければ10年近くヴィデオゲーム制作に携わっていられない)。ただ、それがなぜそうなのかということを、既存の価値観のためにつくられた言葉で述べるのはひどくむつかしく骨の折れることだとも思う。そういう意味でも、稲葉氏がどのような論を展開するのか、とても期待している。
⇒インタラクティヴ読書ノート別館の別館
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/
著者・稲葉振一郎さんのウェブログ。
⇒太田出版
http://www.ohtabooks.com/index.shtml
ただし2005/03/01の時点で本書の紹介は掲載されていない模様。