『コンピュータのひみつ』のひみつ その4


ブルーノ・ムナーリは、「機械主義宣言」という文章でこんなことを言っています。


現代は機械の時代である。われわれは機械の真中に生きており、働くにも、遊ぶにもすべて機械のお世話になっている。しかし、われわれは機械の気質や本性や動物的な欠陥について、何を知っているだろう? わかっているのは、無味乾燥で杓子定規な技術的なことばかり……。


機械はまるで多産な虫みたいに、人間よりはるかに早いスピードで増殖している。そう、すでにわれわれは機械の機嫌を取り、その手入れに莫大な時間をさかざるをえなくなっている。毒されているのだ。掃除してやらなくちゃいけないし、油をさしたり、休ませたり、いつもひとつも足りないものがないように気を使ってやらなければならない。これでわれわれは何年もしないうちに、彼らの小さな奴隷になってしまう。

「機械主義宣言」(1938)、『具体芸術』第10号、1952年(岩崎清編著『ブルーノ・ムナーリのアートとあそぼう』、日本ブルーノ・ムナーリ協会、2006)より一部抜粋。


私は、横須賀美術館で開催された「ブルーノ・ムナーリ展」の会場の壁に掲げられていたこの宣言に出会って、しばらく見入ってしまいました。ちょうど、どうしたらもっとうまくコンピュータのことを理解できるか、という問題に取り組んだ拙著『コンピュータのひみつ』朝日出版社、2010/09近刊)の追い込み中だったことも手伝って、この言葉がことさら脳裏に深く沁み入ったのです。


自分がなんとか表現しようと苦心していたことを、はるかに巧みに、はるかに簡明に表している文章に遭遇すると、涼風に吹かれたすがすがしさとともに、「ここに同志がいた」という(一方的な)共感が湧いてきます。私は、かねてより敬愛の念を抱いていたムナーリに、改めて驚き、もう一度彼が書き残した言葉を辿り直そうと思いました。


さて、ここに引用したのは、「機械主義宣言」の前半部分で、いわば問題提起をしているところです。


この文章は、1938年という日付が添えられているように、戦前に書かれたものですが、どうでしょう。なにか身につまされるところはないでしょうか。試みに、文中の「機械」という言葉を「コンピュータ」に置き換えて読んでみましょう。

現代はコンピュータの時代である。われわれはコンピュータの真中に生きており、働くにも、遊ぶにもすべてコンピュータのお世話になっている。しかし、われわれはコンピュータの気質や本性や動物的な欠陥について、何を知っているだろう? わかっているのは、無味乾燥で杓子定規な技術的なことばかり……。


コンピュータはまるで多産な虫みたいに、人間よりはるかに早いスピードで増殖している。そう、すでにわれわれはコンピュータの機嫌を取り、その手入れに莫大な時間をさかざるをえなくなっている。毒されているのだ。掃除してやらなくちゃいけないし、油をさしたり、休ませたり、いつもひとつも足りないものがないように気を使ってやらなければならない。これでわれわれは何年もしないうちに、彼らの小さな奴隷になってしまう。

「機械主義宣言」文中の「機械」を「コンピュータ」に置換したヴァージョン


コンピュータに囲まれ、仕事も遊びもコンピュータのお世話になっていながら、技術的にどんなシロモノであるかは知ってはいても、必ずしもコンピュータの本質をとらえずにいる。すぐにエラーや警告を出して、ときには予告もなしにフリーズする扱いづらいコンピュータのご機嫌をとって、ついにはどっちが主人か分からなくなってしまう……


そうなのです。これはまるきり、21世紀の初頭に、コンピュータのことをよく知らないまま、コンピュータの中で繰らす私たちの姿を、嫌になるほどずばりと言い当てているかのような文章なのです。


後半には、ムナーリ一流の問題解決法が示されています。ここでの問題意識に照らして、その趣旨をまとめるなら、そんな機械の性質を理解することによって、機械に隷属するのではなく、いままでとはちがったやり方で機械を使い、その流儀で作品をこしらえようではないか、という次第。


これはまさに、今回の本で私がコンピュータについて考え、できれば提示してみたいことでもありました。


つまり、コンピュータについて、単にそのスペックを知るだけでは足りず、コンピュータがいったいどのような性質をもつものなのか、本質を見抜き、そうした知見に基づいて、コンピュータでなしうることを創り出そうというわけです。コンピュータのスペックだけに精通していても、そもそもそれはなんであるのかということを理解していなければ、次々と技術革新によって更新される技術知識に振り回されるばかりです(それもまた楽しいことの一つですが)。



そうではなくて、コンピュータとはなんなのか、なんであると理解すればよいのか、なんであると見立てれば、私たちがもっとこの機械を創造的に活用することに役立つか。しかも、長い目で見て役立つか。多少、コンピュータのハードやソフトが変化しようとも、ずっと通用するような理解をしたい、という考えに基づいて、『コンピュータのひみつ』は設計されています。


そんなわけで、書物が完成間際というタイミングにもかかわらず、無理を言って、このムナーリの言葉をエピグラフとして掲げさせていただいたのでした。


でも、おかげで、拙著で言いたいことを、冒頭に「これです!」と濃縮して示すことができました。


(つづく)



朝日出版社 > 『コンピュータのひみつ』
 http://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255005447/


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