連載完結



2011年4月8日から三省堂ワードワイズ・ウェブで始めさせていただいた連載「「百学連環」を読む」も、2013年11月8日掲載の第133回で最終回を迎えました。


数回の例外を除くと、週に一度、毎週金曜日に連載して参りました。


西周が私塾で行った講義「百学連環」の記録のうち、冒頭の「総論」部分を精読してみようという試みです。


このブログの当時のエントリーを読んでみると、こんなことが書いてあります。

西周『百学連環』現代語訳+注釈(私家版)作成


2010年に制作しようと思いつつできなかった『百学連環』講義の現代語訳と詳細な注釈をつけた私家版を造りたいと思っています。同書は、弟子が書き取った講義録ですが、なんのかんのといっても、やはり現代日本語の基礎でもある明治期日本語の一角を築いた立役者の一人、西周の重要な仕事です。全集の第4巻に入っていますが、とても手に入れにくいのと、ひょっとすると明治期の文献を読み慣れぬ人にとっては、読みづらいテキストであるかもしれないと思い、なにかの機会でもあれば公にするつもりで、しかしさしあたっては私家版として作成しようと考えていたのでした。(確定していませんが、ひょっとしたら意外に早くなんらかの形で公開できるかもしれません)

(「作品メモランダム」2011/01/06)


しかし、いつものことですが、自分だけで取り組んでいたら、十中八九、途中で放置することになったでありましょう。しかし、そうならなかった事情が、それから3カ月後のエントリーに記されています。

年始めにこの場所で、西周の「百学連環」講義の現代語訳+注釈の私家版をこしらえたいと思っていると、ささやかな抱負を述べておりましたところ、三省堂出版局・辞書出版部の荻野真友子さんから、三省堂が運営しているサイトで連載をしませんかと、とてもうれしいお声かけをいただきました。

(「作品メモランダム」2011/04/08)


つまり、当ブログで書いたささやかな希望が、荻野さんの目に留まり、その脳裏で連載企画のアイディアへと展開したことから始まったわけです。巡り合わせの妙と申しましょうか。


その結果、毎週少しずつ「百学連環」を読みながら、関連する文献を探し読み、なにが書かれているのかということを、愚直に書いてみたのがこの連載なのでした。


原稿は、800文字前後から、多いときには3500文字ほどの分量。書いたものはそのまま掲載されるのではなく、荻野さんや木宮さんに校閲していただき、誤記や不明点などを正したうえで掲載となります。


怠惰な私がそんなやりとりをかれこれ2年半ばかりも続けてこられたのは、なによりも企画してくださった荻野さんのおかげであり、また、連載の場である三省堂ワードワイズ・ウェブの設計や運営、編集の皆さんのおかげとしか言いようがありません。ありがとうございました。


(いま、こう書きながら私は、大澤真幸さんのエッセイ「知の外在的かつ内在的限界としての『締め切り』」(『群像』2004年07月号、講談社)のことを思い出しています)


しかし、これだけ続けてくると、ゆっくり読むことが一種の習い性のようになりますね。連載中からその気配はありましたが、なにを読むにも(急がないときには)「百学連環」のように読む癖がついてしまいました。


この連載は、全体に見直しをかけ、連載中「これは後で検討しましょう」と言い条、始末をつけていない問題などを再検討した上で、まとまった形で読めるようにしたいと念じております。時期などは未定ですが、準備ができましたら、またご案内したいと思います。


三省堂ワードワイズ・ウェブ > 「「百学連環」を読む」目次
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