一冊の書物なり文書に向き合って、じっくり腰を据えて読む。これは、読書の楽しみの一つでもあります。
目下、西周の「百學連環」という講義の記録を座右に置いて、週に一度のペースで少しずつ読み進めているところでした。
前回までのところ、文書の周囲のことを検討しました。ようやく今回から本文に入ってゆきます。冒頭は、そもそも「百學連環」とはなにかという言葉の来歴が語られます。そこでは、語源である古典ギリシア語が引かれ、原義の説明が施されることになるのですが、じっくり読む本連載としては、英語のEncyclopediaを媒介として古典ギリシア語と日本語(漢語)とが、どのように結び合うことになったのかという次第をよく見ずには先に進むわけに参りません。
そこで、これから数回は、講義冒頭の言葉をめぐって検討を続けることになりそうです。すいすい読み飛ばすのではなく、このうえもなくゆっくりと読むこと。
読書というものは、実は読む側の経験や知識の現状を、隠れようもなく顕わにしてしまう営みでもあります。或る書物から何をどう読み取れるかということは、読み手にかかっている部分が大きいのです。
そういう意味では、今回のこの連載、私の無知蒙昧を皆さんにさらけ出すという、一種の羞恥プレイのようなものでもあって、書き手にとっては(そして、書き手にとってのみ)おそろしい企画なのでした。
しかし、(恥ずかしながら)己の無知を自覚し、己の無知を晒すことで、識者からの適切なコメントや示唆を得られたら、「百學連環」を読みほどくという目的にとっては、益するところが多いはずだとも思っています。
というわけで、お読みになってお気づきのことがあったら、ぜひお知らせください。
⇒三省堂ワードワイズ・ウェブ > 「「百学連環」を読む」 第8回
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⇒三省堂ワードワイズ・ウェブ > 「「百学連環」を読む」目次ページ
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