ぼやぼやしていたら4月も半ばになりました。ご機嫌いかがお過ごしでしょうか。
今年も東京工芸大学と東京ネットウエイブならびに同別科(高校課程)で講義を担当いたします。
後者は去年まで、週3日12コマ+土日の体験講座を担当しておりましたが、今年は週1日4コマに減らしております。これで空いた時間を使って遊びほうける……ではなくて、お約束している本や執筆・翻訳に充てようという作戦です。
来年度はこの方面の仕事をさらに減らして(あるいは絞って)参りたいと念じております。
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お話はかわりまして。
先日発売になった『考える人』2016年春号(新潮社)に、相棒・吉川浩満くんとの対談「生き延びるための人文」第1回「知のサヴァイヴァル・キットを更新せよ」を掲載いただきました。
同誌はこのつどリニューアルを行って、誌面も刷新されています。ページ数は減ってスリムになりましたが、内容は濃厚です。今回の特集は「12人の、『考える人』たち。」
今号から連載をはじめた糸井重里さんが主宰する「ほぼ日」で、『考える人』のリニューアル記念イヴェントが開催されるようです(下記リンク先をご覧あれ)。4月15日から17日までの予定です。
吉川くんと私も、上記対談に関連するリーフレットを書き下ろしました。会場で配布されると思いますので、ご笑覧くださいませ。
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もう一度お話はかわりまして。
少し前の『AERA』(朝日新聞出版)に、これも吉川くんとともに哲学史に関する図と文章を寄稿しました。西洋哲学の歴史2500年(!)を見開きに収めて勘所を紹介するという趣向です。
急なご依頼に応じて書いた原稿は、最終的に編集部によって架空のインタヴュー形式に仕立てられ、その一部のみが使われる形となりました。
元の原稿は、図には何を表現しているのかを説明したものなので、もともと長い文章ではないとはいえ、一部のみの掲載となったのは著者としては残念なことであります。
また、図も私たちが指定していない人名が編集部によって断りなく追加されるなど、不本意な形になっております。(中にはご提案をいただいて追加・削除したものもあります)
ともあれ、いろいろな意味で勉強になった出来事でした。記念として、ここに記録を残す次第です。
★おまけ
最初にノートに描いた図の下書きと原稿です。
哲学の歴史とは、説明をめぐる歴史だと、まずはいってよい。哲学とは、この宇宙、世界や人間を含む森羅万象をどのように説明できるかという営みだ。
古代ギリシア語で、「知ることを愛好する」という意味のピロソピアーという言葉にもそのことが示されている。この古代ギリシア語が、のちにヨーロッパ諸語にフィロソフィというふうに借用されて今日に至る。日本語の「哲学」はそれを訳したものだった。最初は「希哲学」と訳された。「賢哲であることを希う学」という意味で、原語を見事に捉えていた。しかし結局は「希」という動詞が外れて「哲学」となった。
しかし、説明のためには問いが必要である。説明とは、問いにたいする答えにほかならないからだ。実は、哲学を楽しむための重要な鍵がここにある。哲学者たちが考案・提示した問題を理解し、それを彼らとともに自分の問いとして探究してみること。これが哲学を楽しむ秘訣だ。逆にいえば、提示される問題を理解したり共感したりできないと、哲学書を読んでも面白くない。問いをなおざりにしては、説明を理解することもできないのである。
こうした観点から哲学の歴史を概観してみよう。チャートには、彼らが提示した問題と、それに対する説明の変遷がまとめられている。
まず、「ソクラテス以前」と呼ばれる哲学者たちがいた。神話に頼らず世界を探究することを開始した彼らこそ、哲学の創始者である。彼らは、森羅万象は水からできている、いや火からできている、といった議論によって、擬人化した神様によってではなく、世界の根本原理や根本物質によって森羅万象を説明しようとしたのである。
そして古代ギリシャのソクラテス、プラトン、アリストテレスが、ソクラテス以前の哲学者たちの探究を受け止めながら、哲学を全面的に展開した。その巨大な影響力は、彼らの著作や講義録が二千年以上も経ったいまでも読まれていることからも分かるだろう。
彼らは自然現象や人間の営みに加えて、森羅万象を成立させている条件を理解しようとした。例えば、人間が美しいと感じるものはさまざまだが、それらすべての美を成り立たせている条件はなにか、という次第。個別具体的には無数にあるものを、ぎゅっとまとめて一気に理解しようという発想がそこにはある。森羅万象について何が真であるか。善いとはどういうことか。美とは何か。彼らが提示した真・善・美の問題は、いまもなお解決していないために、ことあるごとに彼らの考えたことが参照されるわけである。
古典ギリシアからローマ帝国の時代になると、哲学の関心は、自然の理解とともに、どうしたら幸せに生きられるかという人生の問題に向いたようだ。例えば、皇帝のマルクス・アウレリウスや、奴隷出身のエピクテトスといった哲人たちが、同じように「よく生きるためにはどうすべきか」という問題に向き合っているのは興味深い。
それに続く「中世」と呼ばれる長い時代は、神が森羅万象の説明原理の座についたキリスト教と神学の時代である。キリスト教と神の時代といえるだろう。この時代には、哲学を含む学問は僧院で営まれていた。一一世紀頃に生まれた大学では、神学、医学、法学と、それらの基礎である哲学(自由学芸)という学問の専門分化も見られる。時として「哲学は神学の婢」とも言われたようだ。
ルネッサンス期の哲学は、神から再び人間へと重心を移した。人間の理解を深めることに関心を抱く人びとは「人文学者」とも呼ばれた。面白いことに、彼らが人間やその社会のあやを読み解こうとする際、お手本にしたのは古典ギリシアの文化だった。古典をもとに人間を復権しようという知の運動が、後に古典再生【ルビ:ルネッサンス】と呼ばれるわけである。
一六世紀から一七世紀にかけて、自然哲学、いまでいう「科学」【ルビ:サイエンス】が説明原理の座につく。自然は数学の言葉で書かれた書物であるというガリレオの言葉通り、数学を強力な道具として、森羅万象に共通のメカニズムを解き明かそうという機運が高まる時代だ。とはいえ、この時代のヨーロッパでは依然キリスト教会の力も無視できないものだった。ガリレオが『天文対話』を出版したことでローマ教皇庁に睨まれた話はあまりにも有名である。注意したいのは、この時代には専門の科学者は存在せず、哲学者が自然についても探究していたということだ。
近代も深まり、現代へと近づいてくると、各種の革命によって社会体制が変わってゆく。そして現在へとつながる国民国家が形づくられる。そこで、どのような共同体や社会が理想かという問題に焦点が当てられた。あるいは、信仰に代えて理性によってよい社会をつくろうという啓蒙主義の発想も現れる。だが同時に、そうはいっても人間の理性は何をどこまで認識できるのだろうかという根源的な問いが提示されもした。それまで哲学者が一手に担ってきた森羅万象の探究が、自然科学や社会科学の専門諸学に枝分かれし始めるのもこの時代である。
二〇世紀は戦争と革命を通じて国家同士が覇権を争った時代である。それ以前も人間は殺し合いを演じてきたが、科学の粋を集めた軍事技術は未曾有の大量殺戮を可能にした。米ソの超大国が核戦争の危機を潜在させながら対立した冷戦が終わったのは遠い昔のことではない。その後、世界各地で地域紛争が後を絶たないまま現在に至る。
また、幾度もの恐慌やバブルを経ながら、資本主義体制は地球規模【ルビ:グローバル】のネットワークへと発展を遂げた。いまや世界の金融市場は、その利便性と同時に、局所的な危機が世界全体へと波及する危険な状況を生み出している。
総じてこの時代の哲学は、人間の理性と近代性【ルビ:モダニティ】に対する懐疑を原動力として、それとは別の仕方で人間や世界を理解しようとした。時に「近代の後」【ポストモダン】の思想と呼ばれる所以である。しかし同時に、現代科学の発展を足がかりに新たな哲学を構築しようとする動きがあることも見逃せない。
現代の学術は細分化されており、かつて森羅万象を対象とし、諸学の基礎を提供していた哲学もその役割を変えている。一言でいえば、諸学が自明の前提とする事柄や認識の条件について、いまだ十分検討されていない問題を発見することを任務としているのである。
では、こうしたなかで、ピロソピア、希哲学という営みの原義に立ち戻るとすれば、果たして哲学には現在どのような意義があるだろうか。歴史のなかで哲学者たちが提示してきた問題を手にとり、それを自らの時代や状況において考えなおしてみることで、有効な一手が得られるに違いない。長い歴史を持つ哲学という営みの醍醐味と愉悦はそこにある。