ブルーノ・スネル『詩と社会――社会意識の起源に対するギリシャ詩人の影響』

ブルーノ・スネル『詩と社会――社会意識の起源に対するギリシャ詩人の影響』(新井靖一訳、筑摩書房、1982/08)

Bruno Snell, Dichtung und Gesellschaft: Studien zum Einfluß der Dichter auf das soziale Denken und Verhalten im alten Griechenland (Claassen Verlag, 1965)

 

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文芸作品(文学作品)が、人びとにどのような影響を与えたのか、与えたとみなされてきたのか、ということを追跡中。

スネルのこの本は、古代ギリシアにおいて、ホメロスをはじめとする詩人たちの作品が、社会にどのような影響を与えた(可能性がある)のかを検討しています。

もともとは1960年3月から4月にインディアナ大学でスネルが行った講義をもとに、Poetry and Society: The Role of Poetry in Ancient Greece (Indiana University Press, 1961)として刊行されたとのこと。

上に掲げた邦訳は、その後ドイツ語で刊行された版から訳されたもの。ドイツ語版は、講演の再録だけでなく、文献学的な議論など、加筆されたもの、とは著者による「序言」で説明されておりました。

 

目次は以下のとおり。

 

序言

第一章 詩と社会

第二章 ホメロス――ひとつ心と共属意識

第三章 初期アルカイック期の抒情詩――友情・同志・国家意識・諸学派

第四章 後期アルカイック期の抒情詩――詩人の社会的地位と自負心

第五章 悲劇――罪の意識と孤独

第六章 喜劇とヘレニズム文学――市民社会と芸術のための芸術

 

訳者あとがき

索引

 

邦訳副題に見える「社会意識の起源に対するギリシャ詩人の影響」とは、実際どのように見いだせるのか。この点がたいへん気になります。

というのも、素朴に考えてみると、こんな疑問が思い浮かぶからです。

詩人を含む人間集団があるとする。その集団のなかで、例えば本書の課題である「社会意識」のようなものが芽生えたり、共有されるという状態が生じる。

ことの順序としては、その人間集団のなかでそうした発想が生まれたり共有されはじめて、それを見てとった詩人が作品に表現するとも考えられます。

他方では、その人間集団では、まだ共有されていない新しい発想を、詩人が作品で表現して、その作品を通じて人間集団のなかに、その新しい発想が広まる、という順序も考えられます。

この点について、スネルはどう考えていたのか、というのが今回、私のもっぱらの関心であります。

これについて、例えば、こんなふうに書かれています。

ホメロスから悲劇作家にいたる詩人たちは、彼らの時代と社会的階層についての見解を反映しているばかりではなく、また特定のグループの代表者であるばかりではなく、むしろ彼らは、人間たちが並存しているという新しい思想を発展させることにさまざまな仕方で寄与したのである。ある詩人がどの程度慣習的なことを述べているか、もしくはどの程度目新しいことを述べているかを個々の点について決定することは往々にして困難である。まして、社会のほうが詩人に影響を及ぼしているか、それとも詩人のほうが社会に影響を及ぼしているか――これはどうやら、卵がさきか、鶏がさきか、という例の問題に似ていなくもない――を探る哲学上の問題には誰しも掛り合いたくはないであろう。いずれにしても、もしある思想がある詩人の作品に初めて姿を見せ、また、この新しい事柄がその詩人の試作活動の本質的な関心事であるということが明らかとなる場合、その詩人はほかならぬこの思想のために詩を草したのだということが容易に推測しうるのである。こういう問題にたずさわる場合、私にはどうも楽観主義的傾向があり、人によってはさしあたりはこのような態度に賛同しないようなことがあるかもしれない。

 こういったわけで、私のテーマは、本書の表題が告げているよりはもっと限定されたものとなっている。

 (同邦訳書、pp. 6-7)

 

「そりゃそうですよね、先生」と、ちょっと安堵したような、がっかりするような込み入った気分になるわけですが、そもそも古代ギリシアから現在まで、伝存している言葉(資料)自体が限られているのだし、それらの言葉とて、当時人びとが交わしていたかもしれない言葉の一部であるのだから、あまりに多くを求めるのは酷というものでありましょう。

できるのは、そうした限られた資料から、しかし何を言えるか、何を推測できるかということです。実際、スネルがこの本でやって見せているように、ホメロスならホメロスの言葉使いを注意深く読むことで、少なくともホメロスが、現代の私たちにとっては当然のように感じられる精神作用について書き表すのに苦心している様子を見てとることができます。

といっても、古代はやっぱり未開で、現代は進んでるよね、という話ではありません。単に言語やその背景となる文化などによって、うまく表現できることとそうでないことが違っているだけだろうと思います。

というのは、最近刊行された國分功一郎さんの『中動態の世界』(医学書院)で示されているように、古典ギリシア語が備えていた能動態とも受動態とも異なる中動態という動作(動詞)のあり方を、私たちの言語はそのようには備えていない、という一事からも窺えます。

スネルの本を読みながら、ある時代のある言語における言葉の並べ方、使い方を読み解く際に、いかにして現代の発想を時代錯誤的に投影せずに読むか、という課題についても考えさせられました。

いま取り組んでいる『夏目漱石『文学論』論』と『私家版日本文法小史』(いずれも仮題)を書き終えたら、続いて「科学の文体」に関わる本を2冊書く予定でいるのですが、そこではいくつかの時代のいくつかの言語によって書かれた(現代なら)科学(と呼ばれる領域)の文章を解読してみる予定です。そこでもスネルのような読解の態度がおおいにものをいうはずだろうと睨んでおります。

それはさておき、引き続き、文芸・文学が人びとや社会に与えた影響について検討してみたいと思います。これは漱石が『文学論』で検討したことの一つでもありました。

 

詩と社会―社会意識の起源に対するギリシャ詩人の影響 (1982年)

詩と社会―社会意識の起源に対するギリシャ詩人の影響 (1982年)