★『現代思想』第33巻第4号、2005年04月号(青土社、2005/03、amazon.co.jp)#0338
☆特集=教育現場の変貌
『現代思想』最新号は「教育現場の変貌」と題する特集。
特集以外の連載は、高祖岩三郎氏*1による「ニューヨーク烈伝」の第五回「労働する身体〔ワーキング・ボディーズ〕の交通空間」と、飯島洋一氏の「建築と破壊」第六回「斧と革命 2」の二つ。
前者は、毎回ある観点からニューヨークという場所の像を描き出す試みで、回を追うごとに前回までに提示された像のうえに後から提示される像が幾重にも重ねられてゆくさまが面白い。今回は、「地下鉄線を介した労働者の移動とその身体が形成する交通空間としての都市、固定した場所というよりも、まさにグローバリゼーションという運動を孕んだ都市の像〔イメージ〕を掴もうという試み」(14ページ)。ただ、ときおり——
ウイリアムズバーグを一つの前線〔フロンティアー〕とし、そこからさらに東進しながら進行しているニューヨークのジェントリフィケーションとも呼ばれる事態、あるいは矛盾を孕んだ多世界の邂逅そして相互乗換〔シナジー〕は、このような世界資本主義の激烈な行進とそれを土台から支え、それに巻き込まれつつも、存在論的にそれに対する抵抗を孕んだ労働する身体が衝突する「間〔あいだ〕的世界」の空間的表現であろう。
(17ページ)
といったにわかには文意をつかみかねる文章があらわれたり、「最終的」という言葉に「どんづまりの」というルビをふるなど、独得の語法になじむまでは読み難い印象は拭えない。とはいえ、教えられることの多い記事だ。ニューヨーク界隈のいくぶん詳しい地図を傍らに置くとより愉しめる。
飯島氏の文章は、アンリ・トロワイヤとドストエフスキーを導き手に、サンクト・ペテルブルグをめぐる論考。
教育される現場を離れてはや幾年。学校の勉強はほとんどマジメにやらなかった口なので偉そうなことは言えないけれど、昨今巷で低下する一方だと言われている「学力」という場合の「力」は結局のところなにをさしているのだろうか。と思って、文部科学省のサイトで調べてみると、どうやら(というか案の定)教科ごとのペーパーテストで測られる力であるらしい。教育の現場で何が起こりつつあるのか、本特集を繙読して見取り図を得られたらと思う。
・大内裕和「現代教育の基礎講座——教育と社会を理解するために」
・佐藤学「「教職専門職大学院」のポリティクス——専門職化の可能性を探る」
・赤田圭亮「「ゆとり教育」から「ゆとりも学力も」へ」
・岡崎勝「溶解する小学校、やむを得ないから異議もない?」
・三宅晶子「教育基本法改悪に抗して自由と平和を求める」
・村上義雄「非道,乱暴,グロテスク……——石原都知事の教育“改革”が「人間」を破壊する」
・高橋哲哉「ファシズム化する教育」
・佐々木賢「「教育基本法改正案とファシズム」
・小沢牧子「「心の教育」が意図するもの」
・岩崎稔「自己責任論というイロニーとその向こう側」
・小沢弘明「「金力」による支配——法人化一年の国立大学」
・陳光興+錢永祥「新自由主義的グローバル化の下での学術生産」(本田親史訳)
・韓東賢「メディアの中の「在日」と「朝鮮学校」,そのリアリティのありか」
・田崎英明「知は社会的紐帯たりうるか」
・山の手緑「昨今の「ゆとり教育」と労働実話」
#読了後にメモと関連リンクをまとめる予定。
次号の特集は「公共性を問う」。
⇒青土社 > 『現代思想』2005年04月号
http://www.seidosha.co.jp/siso/200504/
⇒文部科学省 > 義務教育の改革案「甦れ、日本!」(PDF)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/004/04120701/001/001.pdf
⇒教育基本法の改悪をとめよう! 全国連絡会
http://www.kyokiren.net/index
大内裕和氏のインタヴューで言及されているサイト