現代思想第33巻第3号、2005年3月号(青土社amazon.co.jp)#0278
☆特集=松本清張の思想


以下は特集の冒頭におかれた、小森陽一氏と成田龍一氏の対談からの抜粋。

成田 清張がやろうとしているのは歴史学批判であって、歴史学の解釈に対しての批判です。あるいは歴史学が一次資料を重んずると言ったとき、その根拠を問うという形でのアカデミズム批判です。しかし、にもかかわらず、清張が歴史家としての作法を反復することによって自説を論証する行為は、ほかならぬその歴史学のミニチュアをつくってしまいます。

小森 歴史的にすでに過去において発生した出来事を、なぜ今それまで書かれてきた叙述ではない書き方で書くのか。そこに歴史叙述をする主体の欲望を見ていく。その欲望の構成のされ方それ自体、欲望の原因や動機が、松本清張の初期小説には組み込まれているということですね。


つまり、書く者と書かれたテクストとの関係それ自体を問題にする小説、そこから清張の文学は出発した。


成田 書く者と書かれる者をなぜ問題にするのかというと、それはある権威があって、その権威がもつ虚構を壊すために、双方を目配りして描くということでしょう。その権威とは、アカデミズムや文壇であったり、歴史学であったりするのですが。緊張関係を孕む双方を睨みながら書くということを、清張は示唆していると思います。


同特集の目次は以下のとおり。

小森陽一成田龍一松本清張と歴史への欲望」
・藤井康栄「仕事の現場から」
・纐纈厚「『昭和史発掘』を読む——清張史観を現代に活かす途は」
・藤井忠俊「日本の黒い霧——現代史への接近」
・有馬学「事実・発掘・史料——いま再びの『昭和史発掘』」
原武史「『神々の乱心』の謎を解く」
・渡辺直紀「『北の詩人』の読まれ方——あるいはナラティブに回収されないもの」
・新城郁夫「転移する「勝者の欲望」——松本清張「赤いくじ」を読む」
飯田祐子「清張の、女と因果とリアリティ」
常石敬一七三一部隊の亡霊——帝銀事件再読」
入江公康「一九四九年、反革命攻勢」
・佐藤泉「一九六〇年の アクチュアリティ/リアリティ」
・花森重行「消費材としての「歴史」/「フィクション」という思想」


こうした特集の常として(?)、論考を読んでいるうちに俎上にのぼせられている作品そのものへ向かいたくなる。常石論文以下は勉強になりました。


青土社 > 現代思想 > 2005年3月号
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