上野修スピノザの世界——神あるいは自然』講談社現代新書1783、講談社、2005/04、amazon.co.jp)#0374


スピノザ(Baruch de Spinoza, 1632-1677)は、プラトンデカルト、カント、ヘーゲルニーチェといった哲学者たちに比べると(日本語で書かれた)入門書の少ない哲学者だ。


ぱっと思いつくところでは、工藤喜作スピノザ(センチュリーブックス 人と思想58、清水書院、1980/10、amazon.co.jp)や、清水礼子『破門の哲学——スピノザの生涯と思想』みすず書房、1978/01、amazon.co.jp)あたりがこれまでスピノザ作品の門前へ入門者を誘う役割を果たしてきたのではないかと思われる。


上野修(うえの・おさむ, 1951- )氏による新著スピノザ——神あるいは自然』は、そんな状況に一石を投じるスピノザの思想への格好の入門書。


本書は、『知性改善論』『エチカ』に焦点を絞り、スピノザの「企て」と「方法」をミニマルかつクリアに提示することに専念している(スピノザの著作については、後述を参照されたい)。


哲学の書物を読むさいにもっとも肝要なことのひとつは、当該哲学者の問題意識を共有とまではいかなくとも理解することにある。当然といえば当然のことだけれど、読書経験がすくないうちや、読解の訓練を受けたことがないまま徒手空拳で原著に向かうさいには、これはなかなかむつかしいこのとひとつではないかと思う。ある著作の字面を追い、部分部分は理解できたとしても、それでは著作全体で何が言われていたのかおぼつかないという場合、たいていはモチーフを理解していないことが原因ではないだろうか(著作自体が混乱しているのでなければ)。


とりわけスピノザ『エチカ』のように、記述のスタイルからして独得であり、また冒頭から「神」が問題となる作品となればなおのことだ。


上野氏は、全六章のうち、最初の一章をスピノザ「企て」の理解にあてている。けだし正攻法である。


一般の生活で通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられ、また私にとって恐れの原因であり対象であったものは、どれもただ心がそれによって動かされる限りでよいとか悪いとか言えるのだと知ったとき、私はついに決心した、われわれのあずかりうる真の善〔ほんとうのよいこと〕で、他のすべてを捨ててもただそれだけあれば心が刺激されるような何かが存在しないかどうか、いやむしろ、それが見つかって手に入れば絶え間のない最高の喜びを永遠に享楽できるような、何かそういうものは存在しないかどうか探究してみようと。

『知性改善論』第1段、引用は上掲書、20ページより)


これは、『知性改善論』の冒頭の文章であり、上野氏はこの「企て」を敷衍するところからはじめる。この企てを理解することが、そのままスピノザの仕事全体を理解するためのよきイントロダクションになるのだ。


続く第二章「真理」では、ひきつづき『知性改善論』によりながら探究の方法が検討にかけられる。スピノザが虚構から真理を判別する手つきに注目されたい。ここまでの道のりで「企て」と「方法」を確認したら、いよいよ探究のはじまりとなり、『エチカ』の問題圏に足を踏み入れてゆく次第。


「神あるいは自然」と題した第三章では、『エチカ』全5部の巻頭におかれた「神について」を考察する。ちなみに、『エチカ』は、以下のような構成である。

・第一部 神について
・第二部 精神の本性および起源について
・第三部 感情の起源および本性について
・第四部 人間の隷属あるいは感情の力について
・第五部 知性の力能あるいは人間的自由について


前準備なしに『エチカ』を繙く読者がまず驚くのは、「エチカ(倫理)」と題された書物が、神の探究からはじまることだ。しかし読めばわかるように、同書は神をめぐる書物というよりは、人間をめぐる書物である。


また、「神」という言葉からつい「それは(無神論あるいは特定宗教の信者である)自分には関係ないや」と思ってしまう向きもあるかもしれないが、これも読めばわかるようにスピノザが「神」という言葉で示すのは、神話や宗教に登場する「神」とはまったく異なる概念である。


むしろ、「神あるいは自然」(Deus seu Natura(「神即自然」)という表現が示唆しているように、それは「自然全体」(必然的にそうあるほかはない世界全体)とでも言うようななにかのことだ。『エチカ』において神=自然と呼ばれるものが問題になるのは、人間(の精神)のようなものが存在するには、この世界はどうなっていなければならないかを探究するためで、そのことは上記した目次からもうかがえるかもしれない。


上野氏の書物に戻ると、第四章から第六章まではそれぞれ「人間」「倫理」「永遠」というシンプルな題のもとに、『エチカ』の理路をたどりつつスピノザの世界の到達点を見届けている。ここまでの道を辿った読者なら、その過程でいくつかの疑問が生じたとしても、いまやその問いを念頭にスピノザの著作へと進むことができるだろう。「手軽に手に取れて、しかもじっくり中に入り込めるようなスピノザの入門書」(あとがき)に仕上がっていると思う。


⇒哲学の劇場 > 作家の肖像 > 上野修
 http://www.logico-philosophicus.net/profile/UenoOsamu.htm


⇒哲劇メモ > 2005/04/02 > 『スピノザの世界』
 http://d.hatena.ne.jp/clinamen/20050420/p4
 同書の詳細な目次情報