年に一度の確定申告が終わり、『文藝』(河出書房新社)で連載中の「季評 文態百版」の原稿を書き終えた。
後者は毎回最後は徹夜で15時間くらい原稿に向かうことになり、われながら計画性のなさに呆れるのだけれど、3日もすれば忘れてしまうので、また3カ月後に同じことをするのだった……(阿呆である)。
仕事として本を読んでいると、ときにはまったく関係のないものを読みたくなる。(そう思って読んでいたはずが、あとから書評の依頼が舞い込んで仕事になってしまうこともあり、油断は禁物なのだが)
というので、このところF. W. クロフツの『クロイドン発12時30分』(霜島義明訳、創元推理文庫Mク3-15、東京創元社、2019)を寝しなに少しずつ読んでいた。創元推理文庫の「名作ミステリ新訳プロジェクト」の第2弾である。
原書は、Freeman Wills Crofts, The 12:30 from Croydonといって1934年に刊行されている。
著者のクロフツ(1879-1957)は、アイルランドはダブリン出身の作家。もともとは鉄道技術者だったらしい。1919年というから40歳頃だろうか、長い病気療養のあいだの退屈しのぎで小説を書いたと『デジタル版集英社世界文学大事典』は説明している。
クロフツといえば最初に書いた『樽』(The Cask、1920)がよく知られている。タイトルのとおり樽を使ったトリックが中心なのだが、タイトルがあまりにも素っ気なくてとっかかりがない分、かえって謎めいていると思うのは考え過ぎかもしれない。
このたび新訳された『クロイドン発12時30分』は、よく「倒叙法」で書かれたミステリと呼ばれたりもする。
まず犯人がどのようにして犯罪を行ったかを描写して、その後で探偵が推理に乗り出すという順序。以前なら「刑事コロンボ式」といえば通じることが多かったが、最近の中高生には通じないことが多いようだ(そらそうか)。
多くのミステリは、犯行結果だけがはじめに明かされて、そこから探偵が証拠を集めて推理する。それとは逆さまですね、というので英語ではInverted detective storyと呼ぶらしい。ミステリ方面ではこれを倒叙法という日本語で呼ばれている。
ただし『日本国語大辞典』を調べると、「歴史的な時間の流れと逆に、順次さかのぼって事柄を記述すること」と出ており少々紛らわしい。
『クロイドン発12時30分』は、目次をご覧になると分かるのだけれど、全24章のうち、ことが起こる第1章を別にすると、2から22章までが犯人パート。探偵役は、スコットランドヤードのフレンチ警部で、彼が登場するのはあとのほうである。
読者はしばらくのあいだ犯人視点から出来事を追い、彼の内心を見てゆく。そうすると、変なもので事件を起こしたこの人物が、事が露呈しまいか、バレはしないかと焦ったりする様子に触れて、ついこのまま逃げおおせられないだろうかと肩を持ちたいような気分になってくる。
先日読み終えて、満足のうちに閉じたのだった。
クロフツの小説は、創元推理文庫だけでも34冊が出ている。ここにリストを掲げようと思ったのだけれど、数巻について叢書内の番号が分からないので、後日調べがついたら改めて載せようと思う。
次なる気晴らしの本をなににしようかなと思っていたら、おりしも「名作ミステリ新訳プロジェクト」第3弾のA. A. ミルン『赤い館の秘密』(山田順子訳)が刊行されたところ。このシリーズ、エラリー・クイーン『Xの悲劇』、ダシール・ハメット『血の収穫』と続くようだ。旧訳も棄てがたいので、あわせて楽しむことにしよう。