イェスパー・ユール『ハーフリアル』読書会のためのメモランダム #05

イェスパー・ユール『ハーフリアル』(松永伸司訳、ニューゲームズオーダー)の第2章「ビデオゲームと古典的ゲームモデル」の第4段落を読みます。

■メモランダム5.第2章第4段落:定義をテストするために

5-1.定義をテストする方法

バーナード・スーツ(Suits 1978)が実際にやっているように、ゲームの定義の良し悪しを測るもっとも単純な方法は、その定義が広すぎたり狭すぎたりしないかを確かめることだ。

(邦訳40ページ/原書p. 28)

 

ここでユールが参照しているのは次の論文。

★Bernard Suits, “Tricky Triad: Games, Play, and Sport,” In Philosophic Inquiry in Sport, 2nd edition., edited by William J. Morgan and Klaus V. Meier, 16-22. Human Kinetics, 1995.

これについては、後で別途述べることにしよう。ともあれ、ここでの課題は、ゲームの定義をどう評価できるか、ということだ。

 

例によって原文を自分でも見ておこう。

As demonstrated by Bernard Suits (1978), the simplest way to test a game definition is to test it for being either too broad or too narrow.

 

バーナード・スーツ(Bernard Suits, 1978)が説明してみせたように、ゲームの定義をテストするなら、最も簡単なやり方は、その定義があまりにも広すぎたり、あまりにも狭すぎたりしないかどうかを試すことだ。

(原書p. 28)

 

それにしても、定義が広すぎる/狭すぎるとは、どのようなことか。あるいは、定義の適切さとは、どのようにして評価できるだろうか。

この問いを念頭に以下を読んでみる。

 

5-2.定義をテストするための前準備

定義を提示するまえに、このテストをおこなえるように次のように前提しておく。『Quake III Arena』(ID Software 1999)、『Dance Dance Revolution』(コナミ 2001a)、チェッカー、チェス、サッカー、テニス、ハーツ、これらはすべてゲームだ。『The Sims』(Maxis 2000)や『SimCity』(Maxis 1989)のような終わりがないゲーム、ギャンブル、純粋に運まかせのゲーム、これらはゲームと非ゲームの境界線上のものだ。交通、戦争、ハイパーテキストフィクション、縛りのない自由な遊び、リング・ア・リング・オー・ローゼズ、これらはゲームではない。

(邦訳40ページ/原書p. 28)

 

ユールは、具体例をいくつか選んで、それらがゲームかゲームではないかを区別してみせている。分類は3つ。

・ゲーム
・ゲームと非ゲームの境界線上にあるもの
・ゲームではないもの

特に紛れはないと思う。

 

原文を見ておこう。

To set up the test before the definition, I will assume that Quake III Arena (ID Software 1999), Dance Dance Revolution (Konami 2001), checkers, chess, soccer, tennis, and Hearts are games; that open-ended games such as The Sims (Maxis 2000) and SimCity (Maxis 1989), gambling, and games of pure chance are borderline cases; and that traffic, war, hypertext fiction, freeform play, and ring-a-ring o’ roses are not games.

定義の前にテストを設定しよう。次のように仮定する。『Quake III Arena』(ID Software 1999)、『Dance Dance Revolution』(コナミ 2001a)、チェッカー、チェス、サッカー、テニス、ハーツはゲーム。『The Sims』(Maxis 2000)や『SimCity』(Maxis 1989)のような終わりがないゲーム、ギャンブル、まったく運まかせのゲームは境界例。交通、戦争、ハイパーテキストフィクション、自由形式の遊び、「リング・ア・リング・オー・ローゼズ」〔歌う遊戯〕はゲームではない。〔このように仮定しておく。〕

(原書p. 28)

 

つまり、ユールの実感としてこのように分類されるというわけであろう。後で定義をした際、この実感にどの程度合うか、合わないか、というテストをしようということである。

a) 実感によるゲームとゲームではないものの区別・分類
b) ゲームの定義
c) 定義の検証:定義(b)はどこまで実感(a)を説明するか

という次第。

 

5-3.定義の要件と境界例

ゲームの定義は、ゲームの集合の内側にあるものと外側にあるものを区別できなければならないが、さらに加えて、いくつかの事例が境界線上のものになるのはなぜなのか、またどういう点でそうなのかを詳しく説明できなければならない。境界事例の存在は、それがそうである理由とそのあり方について説明できるかぎりは、定義の難点にはならない。

(邦訳40ページ/原書p. 28)

 

ここで述べられているのは、ゲームの定義に求められる条件である。

・ゲームとそれ以外を区別できること。
・境界例を説明できること。

 

原文は次のとおり。

The definition should be able to determine what falls inside from what falls outside the set of games, but also to explain in detail why and how some things are on the border of the definition. The existence of borderline cases is not a problem for the definition as long as we are able to understand why and how something is a borderline case.

 

この定義は、ゲームの集合に入るものと入らないものを区別できるものでなければならない。ただし同時に、この定義は、あるものがこの定義において境界に位置するとしたら、それはなぜなのか、どのようにしてなのか、こうしたことを詳しく説明できるものでなければならない。〔定義によって〕境界例が現れるのは、この定義にとって問題ではない。あるものが境界例になるのはなぜなのか、どのようにしてなのかが分かりさえすれば。

 

ここでは「分類」が検討されている。

なにかを分類する時、区別する時、その区別の仕方によってはうまく分類できないものが出てきたりする。例えば、動物の分類におけるカモノハシのように。

分類とは、誠に厄介で面白い営みだ。理想をいえば、分類によって区別される全対象物が判明しているのが望ましい。ただし、ゲームとゲーム以外を区別する場合、人がゲームであると考えるものを全部列挙できればよい、というわけではない。「ゲームではないもの」と区別されるものについても、やはり全部列挙する必要がある。もし分類の対象物をすべて列挙できれば、それら全てに共通する性質なりを抽出すればよいから。

――とは、あくまでも理想の話。

実際には、私たちは有限の時間や資源をやりくりして、有限の対象を見知ることができるばかり。そうした有限の経験、対象物の一部についての経験をもとにして、さて、それでもなんとかかんとか、どうやってより適切な分類を施せるだろうか。これが分類における課題であると思う。

そして、身も蓋もないことを言ってしまえば、分類とはものの見方である。人間の身からすれば、複雑多様な対象物を、なんらかの見方によって分類し、把握しやすくする。これが分類の目的と言ってもよいだろう。

 

■関連リンク

⇒日曜社会学 > 「イェスパー・ユール『ハーフリアル』読書会」

 http://socio-logic.jp/events/201706_Half-Real/

 

■関連文献 

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分類という思想 (新潮選書)

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