音楽批評の歴史のほうへ #001

以前から気になっていながら、あまりきちんと追跡していなかった音楽批評の歴史について、とあるきっかけを得て手探りしてみようと思う。

まずは愚直に「音楽批評 歴史」などと検索をかけてみる。

結果は3万件弱。思ったより少ない。

そこで目に入った『音楽現代』第42巻第12号、2012年12月号(芸術現代社)を古本で取り寄せてみた。

「今、音楽批評(評論)を問う」という特集が組まれている。その特集の記事は、以下の通り。

・宮沢昭男「現代における音楽批評の役割」

・中村靖「音楽批評の歴史と今日の批評のあり方」

・丹羽正明「批評家の自律について」(新連載「音楽批評家の仕事」その1)

・澤谷夏樹「音楽批評は何のために?」

・新保祐司「小林秀雄と吉田秀和――その相似と相違」

・倉林靖「美術批評の現在と音楽批評」

・浅岡弘和「文学関係者の音楽批評(評論)について」

・音現アーカイブ1〈座談会〉「音楽批評の自立性を求めて」(篠田一士+遠山一行+中村洪介+船山隆+大木正與(司会))

・音現アーカイブ2 吉田秀和「音楽批評を語る」

音現アーカイブ1の座談会は、同誌の1971年12月号、特集「音楽批評とは何か」に掲載されたものを、一部割愛して再掲載したものとのこと。

音現アーカイブ2のほうは、同誌1972年1月号から1973年12月号まで掲載された「吉田秀和・音楽を語る」からの再掲載。

このなかで、中村靖「音楽批評の歴史と今日の批評のあり方――ジャン・パウルがシューマンに与えた影響」が、私の関心に応えてくれる内容だった。

それほど長くない文章の前半は、「ドイツの音楽批評史をマクロ的に分類したC・ラハナーの研究(C. Lachner, 1954)」を要約したもの。そこでは、18世紀以降のドイツにおける音楽批評の歴史が五つの時代に区分されている。

一つには、そこで言及されている批評家と、彼らが批評を発表した雑誌・新聞などの媒体を確認すればよさそうだ。

どうせなら、中村氏が参照しているC. Lachner, 1954という文献も見ておきたい。書誌が示されていなかったが、調べてみると、

・Corbinian Lachner, Die Musikkritik (1954)

という本のようだ。どこかで手に入らないか、探してみよう。

目につくところに

書くことを約束している本が、何冊かありながら、なかなか書きあげられずにいる。

本を書いたり訳したりするのは、長距離走のようなもので、日々少しずつでもいいから、立ち止まらずに進めるのがよい。

分かってはいるのだけれど、すぐ目の前にやってくる短距離走のような仕事にとりくんでいると、すぐに1カ月が経ってしまう。

とはいえ、そんなことばかり言っていても前に進まない。そこで考えた。

執筆する予定の本の企画書(概要と目次)をプリントアウトして、仕事机で常に目に入る場所に置いてみたらどうか。

コンピュータのデスクトップにも、同じような表示をしてはいるものの、その他の仕事とともに並べてあるせいか、目に入りづらい。

本の企画のプリントアウトなら、それ以外の仕事に紛れ込まず目につく。

かといって、十数冊分を全部プリントアウトすると、今度はプレッシャーが強すぎる。

そこでさしあたり進める3冊分を印刷して、机に置くようにした。

これは存外効果がある。

なにしろパソコンを起動していないときでも目に入る。朝、仕事をはじめるためにPCのスイッチを入れて使えるようになるまでの時間でも、スイッチを切ってからの時間でも、画面から目を離してお茶を飲むあいだでも、いつでも。

そのおかげかどうかは分からねど、この夏に懸案のうち、企画書をプリントアウトしておいたうちの1冊を書き上げることができた(もちろん担当してくださっている編集者さんによるサポートもあってのこと)。目下は、再校のゲラを確認中である。

書き終えた本の企画書は片付けて、次の本にとりくむ。

あくまでも私の場合だけれど、どうも自分がぼんやりしていようが、向こうから目に飛び込んでくるようなモノの力が必要なようだ。

コンピュータはコンピュータでおおいに使うとして、他方で本に囲まれる生活をやめられないのも、ひとえにその辺りに理由がある。

ということを、この秋に刊行される本にも書いてみた。

題して『記憶のデザイン』(筑摩書房)という。最後は宣伝のようになった。

新連載「世界の文芸誌から」

「WEB本の雑誌」で連載を始めます。

題して「世界の文芸誌から」(また大風呂敷を広げてしまった……)。

看板倒れにならぬよう、楽しみつつゆるやかめに進めて参ります。

どうぞよろしくお願い申しあげます。

 

www.webdoku.jp

『世界文學』創刊号(1946)

『世界文學』(世界文學社)という雑誌の創刊号から第37号までを手に入れた。

どうやら第38号が終刊号のようだ。

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発行したのは、世界文學社という京都の版元。

整理がてら、書誌をここに記していこう。

今回は、創刊号について。

 

目次は以下の通り。

・アンドレ・ジイド「架空のインタヴユー」(伊吹武彦訳)

・エルンスト・トラー「ドイツの一青年」(和田洋一訳)

・織田作之助「夫婦善哉後日」

・リルケ「恋する女」〔岸田晩節訳〕

・座談会「戦争中海外作家の動向」(伊吹武彦、大山定一、清水光、新村猛、和田洋一、菅泰男)

・恒藤喬男「日本の作家たち」

・ルカツチ「ゾラとリアリズム」(長崎廣次訳)

・清水光「アメリカの現代文化」

・ジェームズ・A・フアーレイ「アメリカの真髄」〔訳者不明〕

・菅泰男「イギリスの三十年代作家」

・「新作アメリカ映画」

・「ソ連の新しい音楽」

・「ピンナツプストリー」

 〔〕は、目次に表記のない要素を、本文から山本が挿入したもの。上記の他、目次にはないが、「お薬味」という埋め草のような小咄、「アメリカの声」「新刊通信」「編集者のことば」などがある。

 

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表紙には La Nouvelle Revue Française (Juin, 1940)の書影があり、表紙の裏に解説が記されている。以後、毎号表紙には、海外の文芸誌の書影が掲げられているようだ。

 

最終ページには、以下の記載あり。

 

昭和21年4月号

昭和21年4月10日印刷

昭和21年4月15日発行

定価金4円(税共)

京都市寺町通錦ビル世界文學社内 編集発行者 柴野方彦

京都市中京区二条通堺町東入 印刷者 河北喜四良

京都市左京区浄土寺南田町108 印刷所 河北印刷工業所

発行所 京都市中京区寺町通錦ビル 世界文學社

会員番号 A214032

 

「編集者のことば」によれば、次号から伊吹武彦が責任編集とのこと。

すんでのところで『世界文学大系』

『世界文学大系』(筑摩書房)のある巻に用があって、入手しようと思い立つ。

日本の古本屋を検索すると何点か出ている。

こんなときには、一応全巻揃いがどうなっているかも確認することにしている。

見ているうちに、やっぱり全巻揃っていても悪くないよねえ、という気持ちがむくむくと湧いてくる。

『世界文学大系』は、これまで折に触れて必要になった巻を買い求めて読んできたのだけれど、全巻揃いにはほど遠い。ならばいっそのこと……

と、しばらく迷った挙げ句、今回は注文しなかった。

というのは、他の調べ物をするなかで目に入った『オックスフォード古代ギリシア・ローマ百科事典(The Oxford Encyclopedia of Ancient Greece and Rome)』(全7巻、オクスフォード大学出版局)を手元に置いておきたいな、と思っていたところでもあり、いや、それならその前に……と、探求書メモに並んだあれこれの本のことも思い出されたからなのであった。

とはいえ、ここになにかしら、「目の前の仕事に必要だから」というちょっとしたきっかけがあれば、たちまちそんなことはすっかりきれいに忘れて注文するに違いない。

そういう目下は、別の用件にかこつけて入手した『昭和文学全集』(小学館)を第1巻から通読するプロジェクトに手をつけたところだったりして。

ブログはなにをするものぞ

長いこと、このブログを放置してしまった。

自分のパソコンはもちろんのこと、インターネット上の各種サーヴィス(twitter, Facebook, Instagram, note etc.)を含み、コンピュータからものを書く場所があれこれあってややこしいことになって久しい。

いや、ややこしいのは仕組みではない。新しいサーヴィスが登場するたび、ものは試しと登録して使ってみる、ということを見境もなく繰り返すうちに、自分のほうでややこしくしているわけである。

いろいろなものでものを書いてみたあとで、改めてブログってなんだろうと考える。

もちろんブログがなんであるかは使い手次第。

ただいま現在の私の場合、次のようなものであるという気がしている。

・比較的他の人から独立した形の場所。(SNSがつながりの場所であるのに対して)

・自分のためのメモを書く場所。

・ただし、公開されたメモでもある。 

自分用のメモを公開することに、どんな意味があるかは読む人次第なので特に考えない。

ただ、ネットで調べ物をしているとき、かつてブログに書いたことが検索結果に出たりすると、そんなふうに参考になる人がいるかもしれないと感じることもある。

というわけで、とりあえず行った仕事(のうち公開できるもの)を記したプロフィール欄と、近況のおしらせのエントリーを更新してみた。

角田真弓『明治期建築学史』

気になる本のクリップ。

 

角田真弓『明治期建築学史』(中央公論美術出版社、2019)

現在の「建築学」はいかに形成されたのか。
明治期の西洋建築の移入と西洋技術・情報の受容過程を、一次資料の丹念な分析から跡付ける。近代工学教育における建築教育の特性、 建築学の学問的領域の確立、建築とその関連領域(「工芸」「図学」「図案」)との境界を明らかにする労作。

同書は、第24回建築史学会賞を受賞とのこと。

 

リンク先にパンフレット(PDF)もあり。

chukobi.co.jp

中央公論美術出版社からは「新装版バウハウス叢書」(全14巻)も刊行中。