★ロジカ・パーカー+グリゼルダポロック『女・アート・イデオロギー——フェミニストが読み直す芸術表現の歴史』荻原弘子訳、ウイメンズブックス11、新水社、1992/04、amazon.co.jp
 Rozsika Parker + Griselda Pollock, Old Mistresses: Women, Art and Ideology(Pandora Press, 1981)#0365*


手近にある美術史の本を開いてみよう。教科書や美術展でお馴染みの巨匠をはじめ、数百人の芸術家たちが登場する。


では、そのうち女性はどのくらいいるだろうか。これが実にこころもとない。いまでこそ美術雑誌をひらけば男女それぞれの美術作家が登場しているのだけれど、こと美術史の本となるとどうしたわけか女性を見かけることが稀である。美術書コーナーのモノグラフをひとわたり見てもほぼ同様の状況だ。


女性の美術作家がいなかったのかといえばもちろんそんなことはない。女性の美術作家が存在し、作品を残しているかどうかということと、そのことが美術史家によって美術史に登録されるかどうかは別の問題だ。


本書は、西洋美術史における女性の美術作家の遇され方と、彼女たちの作品にたいする批評にあらわれるイデオロギーステロタイプを分析した一冊。


著者は冒頭で、美術史における女性美術作家の扱いの変遷をつぎのように概観している。少し長くなるが、文中に現れる文献をメモするついでに引用しておきたい。

一九世紀までの文献をざっと見渡してみれば、女性アーティストの存在はいつでも認められていたことがわかる。一六世紀のアーティストで評論家でもあったジョルジョ・ヴァザーリが、美術史研究の草分けでもあったことは知られている。ルネッサンス芸術家に関する彼の長大な研究は、近代美術史のなかで最も普通に行われている作家研究、すなわち一人のアーティストの生涯と作品を追うというタイプの研究の先駆けである。彼の本には当時の女性アーティストの記録と評論がおさめられている。例をあげれば、彫刻家プロペルツィア・デ・ロッシには一章がさかれ、ソフォニスバ・アンギッソラと五人の姉妹については詳細な記述がされ、そしてプラウィラ・ネッリが手掛けたサンタ・マリア・ノベラ教会の大がかりなフレスコ画『最後の晩餐』が記録されているという具合である。


一六世紀の女性アーティストに関する記述の一滴一滴のしたたりは、一八世紀にはかなりのものとなり、一九世紀にはひとつの流れをなすまでになった。ヨーロッパ各地で、ギリシャから現在に至るまでの女性アーティストを研究した長大な著作が出版された。たとえば、エルンスト・グール『美術史のなかの女性』(一八五八年)、エリザベス・エレット『世界の女性芸術家通史』(一八五九年)、エレン・クレイトン『イングランドの女性芸術家』(一八七六年)、マリウス・ヴァション『芸術のなかの女性』(一八九三年)、ウォルター・スパロウ『世界の女性画家』(一九〇五年)、そしてクララ・クレメントが編集し千人以上の女性を網羅した膨大な事典『芸術のなかの女性——BC七世紀からAD二〇世紀まで』(一九〇四年)*1などである。


社会の諸局面で女性解放が進み教育機会が増してくると、理論的には、あらゆる方面への女性の参加が大いに認められるようになるはずだが、おかしなことに実際には女性アーティストを論じる本は急速に減っている。二〇世紀は女性の芸術活動の歴史について口をつぐんだ時代であり、いくつあある例外的著作も、ただ一九世紀の研究成果を繰り返しているに過ぎない。現代の標準的な美術史教科書の人名索引を見ているかぎり、これまで文化の創造に女性は一切参加してこなかったのだと誤解してしまう。


二〇世紀の美術史学者は、女性アーティストがどの時代にもいたことを示す多くの資料があるにもかかわらず、無視したのである。たとえば、E・H・ゴンブリッチ『美術の歩み』(一九六一年)*2、H・W・ジャンソン『美術の歴史』(一九六二年)*3という、西洋美術史概説としてよく知られる著作は、女に関しては完全に沈黙を守っている。いずれの著作も女性芸術家についてなにひとつ述べていない。

(同書、14-15ページ)


そして、私たちの手元に置かれる多くの美術史の書物も、ゴンブリッチやジャンソンの美術史と五十歩百歩の状態にある。本書を通読することで、このような状況にいたった次第の一端を垣間見ることができる。そこに引かれる男性批評家による女性の美術作家に対する評言においては、「男性性」の優位という価値基準が疑われることなく女性にあてがわれており、現代の眼から見ると滑稽にさえみえるものだけれど、それだけに笑えない。


また、本書自体が一種の女性芸術家に焦点をあてた美術史でもあるので、女性美術作家への言及を欠いた美術史書の隣に置くとよいと思う。


なお、本書の原題 "Old Mistress" とは、英語で「巨匠」を(も)意味する "Old Master" に対応する女性形の言葉。といっても辞書をひくとわかるように、"Mistress" には、「巨匠」に該当する意味はない。この書名は、1972年に開催された同名の女性画家作品展のタイトルを参照しているようだ。


書物全体は以下のような構成になっている。

・謝辞
・序
・第一章 批評のステロタイプ——本質的な女らしさ、あるいは女らしさはどこまで女の本質か、ということ
・第二章 手工芸と女性——アートのヒエラルキー
・第三章 神に仕える小さな芸術家
・第四章 描かれたレディーたち
・第五章 ふたたび二〇世紀へ——女らしさとフェミニズム
・結び
・訳者あとがき
・注
・図版一覧
・人名索引



著者の一人、グリゼルダポロック『視線と差異——フェミニズムで読む美術史』(萩原弘子訳、新水社、1998/02、amazon.co.jp)も本書と同じ叢書ウイメンズブックスから邦訳が刊行されている。


また、日本語で読める最近の類書には以下のものがある。


★岡部あおみ『アートと女性と映像——グローカル・ウーマン』(彩樹社、2003/09、amazon.co.jp


★神林恒道+仲間裕子『美術史をつくった女性たち——モダニズムの歩みのなかで』勁草書房、2003/12、amazon.co.jp


★エリザベス・A.ボールズ『美学とジェンダー——女性の旅行記と美の言説』長野順子訳、ありな書房、2004/07、amazon.co.jp



また、美術に限らないのだけれど、先ごろ国書刊行会から「古今東西の女性約2000人を網羅」したジェニファー・アグロウ編『マクミラン版世界女性人名辞典』竹村和子監訳、国書刊行会、2005/01、amazon.co.jp)が刊行された。ありがたい労作。


⇒新水社
 http://www.shinsui.co.jp/


⇒Feminist Theory Wbsite > Griselda Pollock(英語)
 http://www.cddc.vt.edu/feminism/pollock.html
 著者の一人グリゼルダポロックの書誌情報など


⇒WOMEN ARTIST IN HISTORY(英語)
 http://www.wendy.com/women/artists.html


⇒Women Artists: Self-Portraits & Representations of Womanhood from the Medieval period to the Present(英語)
 http://www.csupomona.edu/~plin/women/womenart.html


国書刊行会 > 『マクミラン版世界女性人名辞典』監訳者のことば
 http://www.kokusho.co.jp/joseijinnmeikannyakusha.htm

*1:Clara Clement, Women in the Fine Arts from the 7th Century BC to the 20th Century(1904; 1974)

*2:E.H.Gombrich, Story of Art ; 『美術の歩み』(友部直訳、美術出版社、1983年)

*3:H.W.Janson, History of Art ; 『美術の歴史』(木村重信+辻成史訳、創元社、1980年)