★ユクスキュル+クリサート『生物から見た世界』日高敏隆+羽田節子訳、岩波文庫青943-1、岩波書店、2005/06、、amazon.co.jp
 Jakob von Uexküll + Georg Kriszat, STREIFZÜGE DURCH DIE UMWELTEN VON TIEREN UND MENSCHEN (1934; 1970)


エストニア出身の生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexküll, 1864-1944)の名著『生物から見た世界』(原題は『動物と人間の環世界への散歩』)の新訳が刊行された。


ユクスキュルのモチーフのひとつは、動物機械論への反論である。


たとえばデカルトがそうしたように、動物を生理学的な諸器官の作動によって生きる自動機械のようなものとして考える動物機械論では、動物の主観は問題にならない。動物に心があるとは思えないし、たとえあったとしても観察できない、ならば動物には心(精神)がないと考えたほうがよい、という理路である。いったん心を消去してしまえば話はだいぶすっきりしてくる。あとは動物の行動を観察すればよいからだ。このように考えることで、動物をある環境において、刺激を与え、反応を調べる。このようにして刺激‐反応図式で動物を記述することが可能になる。


ユクスキュルはこのような動物機械論にまっこうから意を唱える。動物にも主観があり、その証左がある。彼は、客観的に記述される「環境(Umgebung)」という概念と区別して、「環世界(Umwelt)」(従来は「環境世界」と訳出されてきた)という概念を提示する。環世界とはつまり、ある生物が、環境から主観的につくりあげる世界のことだ。


名高いダニの例がある。ダニは森林の潅木の枝先に登って獲物を待つ。視覚をもたないが、嗅覚によって哺乳類の皮膚腺から出る酪酸の匂いをかぐと、ダニは匂いのするほうへ飛び移り、首尾よく動物の皮膚に着地したならそこで吸血するという次第。ちなみにダニは血液ではない液体でも温度が適切ならそれを吸ってしまうらしい。味覚がないのだ。


ダニは環境から、いくつかの知覚的要素をつかって環世界をつくりだしており、その環世界は人間やその他の動物とは異なっている。


さらにユクスキュルは、動物が固有の「なじみの道」をもつこと(同じ場所へ向かうのに複数の、ときにより効率のよい道があるのに、なじんできた道を選ぶ傾向)や、「故郷」という主観的にしか説明できない場所をもつことなど、動物が客観的な機械ではなく主観性をもつことを証し立てるさまざまな具体例を説明している。


動物がそれぞれ主観性をもっているという感覚は、常識的にはなにも不思議なところはない。むしろ、私たちはペットの犬や猫が固有の主観性をもっていると思って疑わない。問題は、そのことを学の対象として記述する場面で起こる。ユクスキュルは、主観性があることを学のルールに乗るかたちでさまざまに論じたのである。こう言えばなんだ常識を裏書きしただけか、と思うかもしれない。ところがユクスキュルの本は驚きに満ちている。見事に書かれた動物学の書物は、具体的で魅力に富んだ例によって読書の愉しみを増加させてくれる。本書もまた例外ではない。加えて、クリサートによるイラストが好い。


加えて、最終章では、ユクスキュルはここまで論じてきた環境/環世界のちがいを使って人間の世界を眺める。たとえばさまざまな自然学者を例にすると、同じ環境に向かい合っていても、学問の種類によってその環世界はちがっている、というわけだ。

自然研究者のさまざまな環世界で自然が客体として果たしている役割は、きわめて矛盾に満ちている。それらの客観的な特性をまとめてみようとしたら、生まれるのは混沌ばかりだろう。とはいえこの多様な環世界はすべて、あらゆる環世界に対して永遠に閉ざされたままのある一つのものによって育まれ、支えられている。そのあるものによって生みだされたその世界すべての背後に、永遠に認識されないままに隠されているのは、自然という主体なのである。

(同書、158ページ)


⇒Jakob von Uexküll Centre (英語)
 http://www.zbi.ee/~uexkull/