芸術家の死屍累々



デイヴィッド・マークソン『これは小説ではない』木原善彦訳、水声社、2013/10、ISBN:4891769866
 David Markson, This is Not A Novel (Counterpoint, 2001, ISBN:0956107338)


なんとも愉快な本であります。「これは絵画ではない」という絵画を描いたマグリットみたいなタイトルも人を食っています。


なにしろ、出だしからして面妖です。

〈作者〉は文章を書くのを本気でやめたがっている。


〈作者〉は物語をでっち上げることに死ぬほどうんざりしている。


ほほう、著者自身が作品内で言及されるポストモダンメタフィクションですか。一時期はやりましたな。


などと、気楽に読んでゆくと、こう続きます。

バイロン卿は、リウマチ熱か、発疹チフスか、尿毒症か、マラリアで死んだ。
あるいは、頻繁に瀉血療法を施していた医者たちの不注意で殺された。


???

スティーヴン・クレインは一九〇〇年に結核で死んだ。もしも現代人の普通の寿命が与えられていれば、第二次世界大戦の頃まで生きただろう。


作家の死因リスト???


ここで最初のページが尽きて、めくるとこう続きます。

私は今朝、町の清掃人がごみを捨てる場所まで散歩しました。何とまあ、その美しいこと。
ファン・ゴッホの手紙の言葉。


〈作者〉は登場人物を考え出すことにも飽き飽きしている。


ここまで読んだ私の脳裏では、ある映画が思い出されました。ジャン=リュック・ゴダール『映画史』です。ゴダール先生が(ときに上半身裸で)現れる。書棚から本を抜いては一節を声に出して読む。(たぶん)彼の脳裏に連想された映画の一コマが流れる。ゴダール先生が電動タイプライターに言葉を打ち込む(一本指打法がさまになるなんてずるいぞ)。また彼の脳裏に連想された映画の一コマが流れる。映画の引用映像に言葉が重ねられて、そこにまた別の絵画や写真が重なる……。(記憶で書いているので、実際の映像とは食い違っているかもしれません)


ここにつぎつぎと綴られる断章は、ひょっとして、作者のマークソンの脳裏に浮かびゆく作家の死因や手紙の一節なのでしょうか。それが延々と並べられてゆくのでしょうか。気になる……


ブレヒトの死因、アヘンを我慢するコールリッジを慰めるウィルキー・コリンズのお母さん、ウィリアム・ブレイクの不潔さ、ピカソの言葉と続いて、

まったく物語のない小説。〈作者〉はそれを作りたい。


登場人物もいない小説。一人も。


と、〈作者〉(そもそもこの括弧はなんなのだ?)の思いが挟まって、グローブ座焼失、フォークナーから単語三つ分も話しかけてもらえなかったカミュニーチェの死因(また死因!)、オーデン、フランス・ハルスの逮捕歴……芸術家やんちゃ列伝か。

物語なし。登場人物なし。


にもかかわらず、読者にページをめくる気にさせる。


というところで、さきほどめくったページが終わり。


ええ、めくりましたよ、めくりましたとも。


読みながら、いろいろな死因や〈作者〉のぼやきがあらわれるたび、だんだんと笑いがこみあげるようになってきて、むしろ自分は大丈夫かという気分になって参ります。なんだこの面白い本は……


水声社
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