★丸谷才一『文学のレッスン』(聞き手=湯川豊、新潮文庫ま2-12、2013/10、ISBN:4101169128)
季刊『考える人』(新潮社)に連載された文学をめぐるインタヴューをまとめたもの。湯川豊氏を聞き手に丸谷才一(1925-2012)が、毎回「文学」のあるジャンルをテーマに語るという構成。親本は2010年に新潮社から刊行されている。雑誌連載時に毎回楽しみにしながら読んでいた。今回改めて手にしたのは、巻頭に置かれた「はしがき」で、漱石の『文学論』への言及があることに気づいたためである。丸谷さんは、その「はしがき」をこんなふうに始めている。
文学概論ないし文学原論ないし文学総論、まあ呼び方は何でもいいが、とにかくその手の文学についての一般論には関心がなかつた。これは少年時代に夏目漱石の『文学論』を手に取つたものの、ちつともおもしろくなかつたせいが大きい。戦後、吉田健一の漱石論を読み、彼の小説についての評価にはまつたく同じることができなかつたが、『文学論』に対する批判には大賛成だつた記憶がある。
(文庫版、9ページ)
丸谷さんも書いているように、吉田健一は総じて漱石の『文学論』に否定的だった。ついでに言えば、江藤淳や大岡昇平も『文学論』を評価していない。丸谷さんもこの書きぶりからして、『文学論』の試みを買っていないようだ。
これは『文学論』に限ったことではないが、この本を面白く読むには、漱石があのようなことを考え、論じずにはいられなかった問題意識に触れて、共感する必要がある。そうでないと、なんだか当たり前すぎることをくどくど述べているように見えたり、なぜ「F+f」だなんて数式のようなものを持ち出すのか分からなかったり、文学論なのに心理学や社会学の話が出るのはへんてこだと感じたりするかもしれない。
少年丸谷才一の場合がどうだったかは分からないが、要するに「文学」という言葉なり概念なりを自明のものだと思っている読者にとって、『文学論』の議論はまるで響いてこないだろうと思う。また、多種多様な対象(いまの文脈でいえば古今東西の文芸作品)を普遍的・一般的なかたちで把握したいという、いうなれば科学的志向の有無によっても、『文学論』の受け取り方は大きく変わるに違いない。
などなど、この100年ばかりのあいだ、『文学論』がどんなふうに論じられ、評価されてきたかということも総覧してみたいと思って、こんなふうに文章を蒐集しているところ。
それはそうと、『文学のレッスン』の目次は以下の通り。
■目次
はしがき 丸谷才一
【短篇小説】もしも雑誌がなかったら
【長篇小説】どこからきてどこへゆくのか
【伝記・自伝】伝記はなぜイギリスで繁栄したか
【歴史】物語を読むように歴史を読む
【批評】学問とエッセイの重なるところ
【エッセイ】定義に挑戦するもの
【戯曲】芝居には色気が大事だ
【詩】詩は酒の肴になる
あとがき 湯川豊
あとがき 丸谷才一
もうひとつの少し長いあとがき 湯川豊
読書案内
⇒本の話WEB > 『丸谷才一全集』(全12巻、文藝春秋社)
http://hon.bunshun.jp/sp/maruya
目下刊行中の『丸谷才一全集』特設サイト
⇒新潮社 > 『考える人』
http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/
⇒作品メモランダム > 2013/09/23 > 吉田健一『文学概論』冒頭拝見(その1)
http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20130923/p1