いまさらながらデータのフローとストックについて

長年あれこれのSNSを使っていると、ときどき「なんでこんなことしてるんだろう」と正気に返ることがあります。私が「なんでこんなことを」と思うのは、しなくてもよいことを楽しみや遊びとしてやっている、という気分があるからかもしれません。

それはそうと、この頃改めて感じていることをメモしようと思います。

TwitterやInstagramのいいところは、投稿すると比較的多くの人の目に触れやすい点ですが、長年使ってみて次のようなことも感じています。

1) 必ずしも多くの人の目に触れればよいというものでもない。

2) 自分の投稿を後で参照しづらい。

1は用途にもよるのでしょうが、私のような個人が使う場合、投稿が広く拡散したからといって特にうれしいことはあまりありません。

閲覧数(Twitterならインプレッション)が多くなると、いわゆる「クソリプ」の発生頻度も上がって、かえって不愉快になることもしばしばです。といっても、私自身は「バズり」とは無縁の静かなアカウントですので、そんなに騒がしくはないのですけれど。

2はInstagramに顕著です。Instagramでは、もっぱら入手した本の記録がてら、書影と簡単な書誌を投稿しています。半分は「こんな本がありますよ」と、ご覧のみなさんに共有することが目的ですが、もう半分は自分のための備忘です。

ところがInstagramも投稿数が増えてくると、過去の自分の投稿を辿るのも簡単ではなくなってきます。一応タグをつけているので検索も使えますが、これがあまり当てになりません。というのは、画像を中心としたデータを投稿する場なので、当然といえば当然のことですが、1万件近く投稿してみて改めてこんなことを思ったのでした。

Twitterは、自分の投稿に限定して検索する手段もあり、これは便利です。ただし、イーロン・マスク氏がトップになって以来の右往左往で、システムが不安定であるのと、検索も働きが怪しいことがままあって、やはり当てにならないように感じているのでした。

それはそれぞれのSNSが提供しようとしている機能からしたらそうなるでしょ、というご指摘があれば、素直に同意したいと思います。基本的にはフローの場、どんどん流れてなんぼの仕組みなので、ストックして活用ということについてはあまり配慮されていないとしても無理はありません。

などということを、いまさらながら考えて、書いたものを蓄積して小さな書棚なり図書室のようなものにしたい場合、SNSではなくブログや昔ながらのウェブサイトでいいな、と思い直したのでした。

近ごろは、Blueskyのゆったりした感じがちょうどいいなと思っているところです。