荷宮和子『なぜフェミニズムは没落したのか』中公新書ラクレ159、中央公論新社、2004/12、amazon.co.jp


帯の文句「80年代文化の功罪を徹底検証」で手にした一冊。この著者の本ははじめて読むのだけれど、どういうわけか思っていたよりも自分には読みづらいのである(主張内容の是非とは別に)。50頁ほど読んだところでそのわけが腑に落ちた。文末に「のである」が多用されているのである。ではなぜ「のである」が頻出すると自分には読みづらいのか、はわからないのであるが、気分だけで言うと「のである」という結びにある種の重みを感じてしまうからなのではないかと思うのである。ところで(これもまた主張内容の是非とは関係のないことで恐縮なのだけれど)、p.47につぎのようなくだりがある。行が抜けていはしないかと気になるのである。

そもそも、なぜ男と女では、「食事」&「料理」に対するスタンスが違ってしまうのか、ということについて考えていくと、次の事実が浮かび上がってくる。すなわち、
という紛れもない事実が、である。

(同書、p.47)


内容については読了したらまたなにかメモするかもしれません(しないかもしれません)。