★『みすず』第47巻第3号、2005年4月号(みすず書房)
ジル・ドゥルーズ「ザッヘル・マゾッホからマゾヒズムへ」(國分功一郎訳)は、訳者解題によると、雑誌Arguments, no.21 (Editions de Minuit, 1961) に掲載された、Gilles Deleuze, De Sacher Masoch au masochisme の全訳。誤解にまみれたレオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホ(Leopold von Sacher-Masoch, 1836-1895)その人と作品を正当に評価し、その意義を読み解くことを企てた論考。
と書くと、『マゾッホとサド』(蓮實重彦訳、晶文社、1973、amazon.co.jp)——原書 Présentation de Sacher-Masoch(Editions de Minuit, 1967)は、マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』(オード・ウ゛ィルン訳)にドゥルーズの論考「ザッヘル=マゾッホ紹介」を併せて一冊としたもので、左記邦訳書はドゥルーズの論考を訳出したもの——を想起するかもしれない。マゾッホの作品において、「契約」という概念がどのように転倒され、それが快楽の源泉として活用されるにいたるかという分析、クラフト=エビング(Richard von Krafft-Ebing, 1840-1902)の分類に端を発するSM(サド&マゾ)という組み合わせへの批判などなど、同書で論じられる論点がこの論考でも多数提出されている。
しかし、本論考に付された訳者・國分功一郎氏による解題に詳しく指摘されているように、この論考には『マゾッホとサド』には見られない大きな要素として、ユングへの言及が含まれている。「ドゥルーズとは無関係に単にユングを読み直すためにも、そして、ユングとは無関係にドゥルーズを読み直すためにも」見逃せないテクスト。
⇒哲学の劇場 > 作家の肖像 > ジル・ドゥルーズ
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なお、同誌(『みすず』)には、近刊が予告されている木村敏(きむら・びん)氏の『関係としての自己』の序論も収録されている。