★アントワーヌ・メイエ『ヨーロッパの言語』(西山教行訳、岩波文庫青699-1、岩波書店、2017/09)
Antoine Meillet, Les langues dans l'Europe nouvelle (1928)
★江戸川乱歩『怪人二十面相・青銅の魔人』(岩波文庫緑181-2、岩波書店、2017/09)
★大岡信『うたげと孤心』(岩波文庫緑202-2、岩波書店、2017/09)
★柳田国男『都市と農村』(岩波文庫青138-11、岩波書店、2017/09)
岩波文庫の新刊は以上の4冊。メイエの『ヨーロッパの言語』は、訳者の西山さんによる解説「よみがえるメイエ」のおかげで、ぼんやりとしか知らなかったメイエの仕事に興味が湧いた。
★『美術手帖』第69巻通巻1060号2017年10月号「特集=新しい食――未来をつくる、フード・スタディーズ」(美術出版社、2017/09)
★『ゲンロン6』「特集=ロシア現代思想I」(genron、2017/09)
こういうのを待っていた。いままで自分の目に入っていなかったもの、よく知らなかったものに遭遇できるチャンスを与えてくれる特集。
ネットでは、人々は無限の情報を集めることができる。けれどもなにも受信しない。人々はかつて自分が読んだものと同じものしか読まないし、かつて自分が聴いたものと似たものしか聴かない。そして呟きを一方的に垂れ流し、世界中が注目することを夢見る。
だから、発信ばかりで受信しない、それはかならずしも日本固有の特徴ではなく、世界中のネットユーザーの、否、これからの世界市民の一般的傾向と言うべきなのだろう。ポストモダンではコンテンツと言論は混淆する。すべては国境を越えてフラットに消費される。しかし、だとすれば、そこでは、この混淆をうまく利用したものこそが、すなわち、できるだけ多くの情報を収集し、多様な文脈を新しいかたちで結びつけたものだけが、ぼくたちを閉じこめる一方的発信の孤独を逃れることができるのではないだろうか。
(東浩紀「受信と誤配の言論のために」)
知らず知らずのうちに特定のサイロのなかにとじこもり、その内部だけで通用する常識を疑うことも忘れてしまえば、頓珍漢な判断も平気でするようになる。というサイロ・エフェクトから逃れるためにも、自分にとって未知の領域から受信することは肝要である。頭の風通しをよくすると言おうか。
贅沢な話ではあるけれど、できれば同様にして世界中のさまざまな場所や言語で行われている思想の状況に遭遇したい。そういえば、以前、『思想』(岩波書店)の別冊として刊行された『トレイシーズ』は、ヨーロッパに限らない複数の文化における思想を扱う場として期待したのだけれど、2冊くらいで終わってしまったのだったかしら。
いずれにしても、「『ゲンロン』の目次を受信に振り向けることに決めた。そして誤配の扉を開くことを決めた」という東さんの方針を歓迎したい。
★『小説トリッパー』通巻5463号2017年秋号(朝日新聞出版、2017/09)
橋本治さんの新連載評論「指導者はもう来ない――父権制の顚覆」が始まった。