★竹内洋『教養主義の没落――変わりゆくエリート学生文化』(中公新書1704、中央公論新社、2003/07、amazon.co.jp)
教養がない。ともかく教養がないのである。どのくらい教養がないかというと、「教養」という言葉がどんな意味内容を持っているのかもよくわかっていないくらい教養がないのである。加えて言えば、教養がないことによる弊害がどこにあるのかも弁えないほど教養がないのである。深刻な教養不足に見舞われているんである。
そんな次第だから、年長者から「君たちいまどきの若いもんは、教養がない」と言われて、うすうすそうだろうとは思いながらその実内心では「教養がないってどういうことかしら?」なンてボンヤリして無闇ににやにや笑ってしまうのである。そつがないとかならともかく、あったほうがよい何かがない、というのはよくわからないなりに不面目なことである。
それは教え養われてこなかったからなのか、自らを教え養ってこなかったからなのか。今更嘆いても詮無いので、せめて教養なるものの残り香に触れようと、本書『教養主義の没落』(中公新書1704、中央公論新社、2003/07、amazon.co.jp)を手にとった。
「教養の没落」――没落するからには、盛期もあったのだろう。どれ、というので読んで見ると、あったあった。たしかに教養の花盛りがあったようだ。
本書の第1章によりながら、教養主義の興隆を図式的に書くと「大正教養主義」⇒「マルクス主義」⇒「昭和教養主義」という三つの時期にわけて把握できるようだ。
明治維新以来の舶来知識の輸入と吸収の延長上にある「大正教養主義」。これは人格の修錬を主目的とした教養のための教養で「万巻の書物を前にして教養を詰め込む預金的な志向・態度」という和辻哲郎の表現が言いえている。学識の多寡が他者に対して象徴的暴力として作用するとの指摘も現代の視点から見ると興味深い。なにかを知らないことが劣等感になるような(なにかを知っていることが優越感になるような)、そんな時代もあったようだ(三木清によれば大正教養主義は、明治の啓蒙思想に対する反動として起こったのだそうだ〔『読書遍歴』〕)。
大正教養主義に対するマルクス主義がどのように作用したかについての、著者の分析は興味深い。簡単に言えば、マルクス主義にコミットすることによって従来の教養主義の価値をリセットできたというのだ。学識の貯蓄ゼロの徒手空拳で、学識の貯蓄をうずたかく積み上げた貯蓄家(教養主義者)に立ち向えたというのである。たしかにこれは画期的だ。
マルクス主義の立場にたてば、たとえば教養主義は「観想的」であり(社会現実をみない画餅だといいたいのだろう)、「ブルジョア的」であり(書物を手にいれ読む余暇や経済的なゆとりを非難したいのだろう)、「プロレタリア革命の敵対分子」である(これはよくわからない)、と非難(そう、批判というより私などには難癖に見える)できたようだ。しかしマルクスがどれほど大量のインプットを経てあれだけのアウトプットをしたかを鑑みるまでもなく、マルクスばりに目の前の出来事を分析しようと思えば、学識を積むこと自体はむしろ必要なんではなかろうか、などとつい考えてしまう。
昭和教養主義は、マルクス主義的な反動に対するゆり戻しとでもいうのか、マルクス主義の退潮とともに息を吹き返した教養主義との由。
――と図式的に書けばなにかすっきりもするのだが、当然のことながら本書の残りを読めばわかるように、ことはそう単純でもない。本書を通読してますます教養の意味がわからなくなったのはどうしたことか。
途方にくれた私は、最後になってようやく辞書をひくことに思い当たった。辞書にはこうある。
学問、知識などによって養われた品位
(『国語大辞典』小学館)
学問・知識を(一定の文化理想のもとに)しっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ
(『岩波国語辞典 第五版』)
学識と品位、学識と心の豊かさ。ああ、たしかにそう思って見渡せば私の周りにも数少ないけれども、そうした「教養」を感じさせる方々がいらっしゃる。と最後にようやく少し実感を得た次第。彼/彼女らがどのようにしてそのような人物へと生成したのか、いつか聞いてみなければなるまい。